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近年ではすっかり流行のトピックとなった発達障害。メディア露出が増えネット界の言論も勢いが増す今日この頃、認知の広まりと反比例するように知的障害などの「発言力がない層」が世間的認知の死角となっているのでは?という意見が出てきているようです。
以前、メディアで発達障害を取り上げる時に

知的障害と発達障害の両方がある人がいる

って触れてほしいとツイートしたら、

「全部出来るわけじゃない」
「なぜ触れて欲しいのか、仲間に入れてもらえなくて寂しいんじゃないか」
って言われたんですよね。

私は蛇のようにしつこいから忘れないんですが。

発達障害の中に知的障害のある人がいるって説明の部分で触れておかないと、きつい思いをするのは息子のようなきっちり遅れのあるタイプではなく軽度〜境界域の人たちだと思うんですよ。
支援がどうしても少なくなるから。

息子の在籍する支援級の生徒さんたちも、軽度の知的障害だと言われないと全く分からないです。
で、ほとんどの生徒さんが発達障害(私たちの頃は自閉症と言われましたが)の診断も持っています。

軽度の知的障害も見えない障害という言葉は本当にその通りだと思います。

発達障害の説明に知的障害を持つ人もいると加えるのは、発達障害の正確な説明としては間違っているのかもしれませんが、少なくない割合で存在するのは事実ですし、ひとこと触れてもいいと思っています。

息子くらい分かりやすく遅れがあれば知的障害に対する支援が受けられますが、軽度〜境界域だと受けたくても支援がなかったりします。
こういう配慮「だけ」すれば良いのではなく、
多種多様な発達障害のひとつとして知的障害がある人もいるということは知ってもらえてもいいのではと思います。

ここは本当に気になってるラジね。

世間で「大人の発達障害」が語られる時には「知的な遅れがない」ことが前提になってしまうけど,いま特別支援級にいる「発達障害」の子どもたちのかなりの割合は将来「知的な遅れのある発達障害の大人」になるのラジよ。

「学校の勉強ができたために学校では問題がなく社会に出てから発達障害に気づいた」発達障害者が「発達障害者の典型」「発達障害者の代表」になってしまうことには
知的な遅れのある発達障害の子どもの親として強い懸念があるけど,懸念してもそうなっちゃうと思う。
彼らは自分の意見が言えるから。

「自分の意見が言える障害者」と自分の意見が言えない,あるいは上手に言えない障害者との間には深くて暗い川があるラジよ。

marxindo 大人になってから気付かされる発達障害は、つまり学校教育を無理なく通って来れたということなので必然的に知的障害はない(又はとても軽度)となる。
逆に学校教育で気付かされるということは知的障害が中度〜重度ということだ。

発達障害の定義がわかりにくいからそうなるんで、本来は「発達障害」とは発達が平均値から外れたものを指すんで
知的障害も「発達障害」のくくりの中の概念でもあるのラジけどね。

知的障害のある発達障害には従来の自閉症という枠組みがある一方、知的障害のない発達障害が「知的障害がないなら『障害は個性』で乗り切れるだろう」と寧ろ切り捨てられていく現実もあるのですが。

時間の流れに沿って見ると、むしろ、昔は知的障害のあるタイプしか知られてなくて、ごっちゃに知的障害とだけ見られていたのが、知的障害が軽度か無いタイプもいるとわかって、広報されるようになったって感じなんでしょうけどね。。

知的障害のない発達障害の人は「知的障害がない」ことがアイデンティティ並みに重要な人もいるので、そこに触れて欲しくないのではないかと思うことは多いです。

軽度知的障害の人はそれなりにいて、支援が不足する可能性が高いのに、そこは切り捨てるのかと思います。

発達障害者のライターさんが就労支援移行だか職能開発だかに行き訓練を受けようと思ったら「発達障害」だと言うのに知的障害者がやるような単純作業をやれと言われて、すさまじいショックを受け、以後、発達障害者にとってふさわしい就労支援とはみたい本を出してるのを見て感じたことですね。

「障害者」とひとくくりにされても,身体の人には「健常者とまったく同じような」知的や精神の人に対する偏見や差別があることが多いし,同じ身体の人の間でも中途障害の人は先天性の人と一緒にされたがらないことがあるし。

これから「発達障害の特別支援」を受けて育った子どもたちが大人になっていくと「発達障害」のなかでのそういう壁が目立ってくることはあると思うラジよ。

marxindo 「健常者に近いほどえらい・まともだ」という考え方が根底にあるのだとしたら、そういった「障害者内」の差別も「障害者への差別」に影響されているところが大きいのでしょうね。

marxindo 言語化できる発達障害者の方が、どうしても目立ちますね。発達障害という自覚があって、そしてこうやって返信したりできるので。

言語化できる発達障害、が言語化できない発達障害と同じくくりというのは解せませんね。
知的障害を伴わない発達障害は果たして発達障害と言えるのか?となりますね

そもそも知的障害を発達障害に含めて考えるから話がおかしくなる。
社会制度上は明確に区別すべきで、知的障害のある発達障害の方は、知的障害に分類されるべきだと思う。
本人が望むの出ればどちらでもいいが…
ただ、手帳制度はそうなっていて、発達障害は精神障害者福祉手帳で、知的障害者は養育手帳。

liveinblues ADHD_Strattera いや「知的障害を伴わない発達障害」だけが発達障害になってしまって「知的障害だけで困ってるわけではない知的障害」の人の入る場所がまたなくなっちゃうんじゃないかと思ってるんですよ。

marxindo 特殊学級内部ですでに知的障害者を見下す知的障害を伴わない発達障害児というのはいるだろうし、果たして今の制度でいいのかはずっと悩ましい問題ラジね。

marxindo その時には知的に遅れのある発達障害を認知しようという動きと、知的に遅れがある発達障害を知的障害に分類しようとする動きと、どちらも黙殺しようとする動かざるがぶつかるのではと。
おそらく専門家の支持が1番集まりそうなのが少なくとも序盤は劣勢になる気もします。

発達障害としての線引きや何やで騒然としておりますが、
やっと声が上げられるようになったばかり。

そこから、こぼれ落ちる人の声も聞き取っていかないと。
お互い助けを受ける事ができる仕組みにできれば、叩き合いをしなくて済むから。

はざまのコドモ 息子は知的ボーダーで発達障害児
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aa 上記の例とはちょっと違いますが、「なんだかんだ適応して発達障害を”卒業”していった層」というのも、ネット空間の死角にかなりの数存在していると思う今日この頃。。
むしろネット言論の「外の世界」にこそ、リアルな当事者の生態系が無限に広がっているんだろうなと思えてなりませんね…