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「あなたの個性はなんですか?」って聞かれた時
「発達障害です」で終わるより、
「イレギュラーに弱いですが、レギュラーをこなすのは得意です」とか
「お世辞は言えませんが、不正をしません」とか
「物忘れは多いですが人と違う視点があります」とかの方が魅力的に聞こえるじゃん。ダメなの?

発達障害とか目に見えない違いの理解が進むのは良いことなんだけど
「昔は『あいつは障害』とかじゃなくて、「そういう性格」だと思って、みんなでワイワイ遊んだもんだけどなぁ」 って言ってるおじさまの言うことも一理あると思うんだよね。
深刻になりすぎない事も大事ではないかなって。

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「周りの理解が得られるかどうか」「本人が生きやすいかどうか」って、結局「多数派か少数派かでハードルの高さが違う」んだと思うんだよ。「健常か障害か」じゃなくて。
例えば金魚は鮒の奇形だけど、鮒の障害だとか思って見ない。
なんかこの手の番組とかの一連の表現がモヤる

そのうち
「『季節の匂い』を感じたら障害」
「出来事を3日引きずったら障害」
みたいに無限に増えそうというか。
ようは「性質」を「障害」として「庇護する」事で、現代社会で生じる「迫害」と「劣等感」を解消しようとしてるんでしょ?

でも大事なのは本人がどう生きたいかじゃないのか。

世間で発達障害発達障害言うせいで「大きい音苦手」とか「集中しちゃう」「レギュラーが苦手」とかの性質あげて、自分より仕事やって無い人に無駄にマウントとられるし、変な男に「俺は理解があるよ」みたいな同情狙いモーションかけられるし、迷惑。
こういう人間もいます。

 #発達系女子 タグ使ってみてるけど、
何かこういう発達障害者自ら付けたあだ名みたいなネーミングにどうにも違和感があるんだけど上手く言語化できない。
特に一番なのは定型さんという呼び方だよな。

nkltsl2発達障害はあくまでも『自分』を形作る要素の一つであるのに、それをアイデンティティーにして『発達障害』というカテゴリーに収まっているからかなと思います。

自分がADHDと解ってから発達障害当事者を積極的に観察するようになってから何となく“発達障害を己のアイデンティティにしてる”という事への違和感を持ってたんだけど、そう思ってる人が他にも居て安心した。
あくまでも属性の1つであってアイデンティティの大部分の拠り所にするのには疑問ある。

自分のアイデンティティを“発達障害である”という所に重きを置きすぎると、色々と歪みが出てきそうに思うんよね。

前になるほど、と納得したのは『依存先は多ければ多いほど人の精神は安定する』というツイートでしたね。
『私』という者を完璧に理解できる人はおらず、また、『だれか』を私は完璧に理解できない。だから、『私』は様々なところに“一部だけ”理解してもらう。それが一番良いのでしょうね。

結局の所、様々な人達と関わるとか、視野を広く持つとか、発達障害者として健全に生きようとすると全ての人間にとって大切な部分に立ち戻るんですね。

発達障害とか目に見えない違いの理解が進むのは良いことなんだけど 「昔は『あいつは障害』とかじゃなくて、「そういう性格」だと思って、みんなでワイワイ遊んだもんだけどなぁ」 って言ってるおじさまの言うことも一理あると思うんだよね。深刻になりすぎない事も大事ではないかなって。
まあそうなんですが、「ワイワイ遊んだ」時代と「障害だ!」の時代の間に「あいつは違うぞいじめて殺せ!」の時代があったんですよということを忘れちゃいかんと思う。

あと、「ワイワイ遊んだ」と思ってるのは健常者(強者)の方だけで、当事者に話聞くと、いつも鬼だったとか怪人役だったとか、「みんな平等にワイワイ」というのは幻想だったというのもあるあるですよね。

健常者側の「昔はワイワイ遊んだものだったけど」というのが美しき記憶違いというのは本当にあるあるなんやけど、発達障害者側の「友達なんていなかった」というのも認知の歪みだったりする事はあるあるなので、私はこの辺りわりと差し引いて聞く癖がある。

↑これもありますね。
本当に平等なつもりで接していたのに当事者側が自分の希望を伝えられなかったために黒歴史となってしまっているケースとか。いずれにせよそのようなミスコミュニケーションが起きているので、昔々の「みんなワイワイ方式」では無理があるとなるのかもしれません。

結局障害、障害者という言葉はね、
そういう言葉で「いじめちゃだめよ」「殺しちゃだめよ」と言われないとわからない一部の(そして大多数の)健常者のためにある言葉だと思いますよ。
「絶滅危惧種」みたいなのと同じ。
人間がそう呼ばれれば違和感があるのは当然です。

今のところ日本社会において、障害という診断名をつけることや、こういった障害があるんだと啓発活動をすることは、(法的な支援を除けば)それに触れた人がどう反応するかというリトマス試験紙になる以上の効果は見込めないのではないでしょうか。

あなたはテレビで見たあれねと決めつけてしまうのか、なんだかめんどくさそうだと距離を取るのか、はたまた『あなた』はどうしてほしいの? と個人と向き合おうとするのか。
あさイチを見たあなたはさてどちらになるでしょうか、という問題なのかもしれませんね。
当事者、それ以外を問わず。

できれば、番組を見て初めて自分が発達障害なのではと思った方にも、
「テレビでやってた障害」のほうではなく「あなた自身」と対話してみてほしいなと思います。
私もそうする。