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ここは俺の日記帳

公務員になって最初の辞令で生活保護ケースワーカーに任命された時はショックだった
地方公務員がやりたがらない業務のトップ常連だし、
何より生活保護に良いイメージを抱いていなかった
某お笑い芸人の一件も記憶に新しかったし、当時は俺も生活保護バッシングに同調していた

実際に赴任してみると、生活保護受給者の方々と話をするのは想像したよりも楽しかった
ただ、それは今まで会ったことの無いタイプの人たちの人生に深く踏み込むことに対する好奇心、怖いもの見たさのような感覚で、自分の内面の差別心を完全には捨てきれていなかったと思う

幸い、俺が務める福祉事務所は水際作戦に代表される悪質な保護実施は行われていない「マトモ」な事務所だった
何より保護課長が常に被保護者の目線で問題解決を考える人情味のある優れた上司だった
CWは新人からベテランまで色んな人がいて、中には生活保護受給者をあからさまに見下すような人もいた

CWをしてると「人間は弱い」ということを痛感させられる
日々あらゆる問題に接したが、人の弱さを受け入れることから始まり、一歩前に進む後押しをするのがCWだと思った
CW自身も業務的にも精神的にも重い負担を背負う
指導に従わない、問題を起こすケースの愚痴でも言い合わないとやってられない

役所内外の友人に生活保護CWをしていると言うと決まって同情される
「どうしようも無い奴らの相手をさせられて大変だろ」と言われることがよくある
医療・介護関係の友人も、いかに生活保護受給者にクズが多いかという類の話をよくしてきた
確かに苦労はしたが、差別的な言動に触れると腹が立った

ただ、強く言い返すことはできずに「そんなことはないよ。想像してるほど仕事もきつくないし。」ぐらいの返答をして聞き流してた
関係が悪化することも空気の読めない奴だと言われることも覚悟の上で、反論して議論して誤解を解こうとするべきだったと後悔してる
俺も弱い人間だと思う

自分が担当したケースの中には本当に色んな人がいて、具体的には書かないけど、心から尊敬できる立派な人も何人もいた
今でも彼らのことが気になってしかたない
事務処理は回ってなかったけど、被保護者との人間関係は順調だったと思う
特に大きな問題もないまま任期を終えることができた

CWの在任期間中、最も衝撃を受けたのは外部のニュースだった
相模原市障がい者施設連続殺傷事件だ 「生きるべきでない人間がいる」という動機で重度障がい者のいのちが奪われた
そして、彼と根本的には大きな違いがない差別心が多くの人の心に巣くっていることに気づいたから他人事とは思えなかった

「生活保護受給者は文句を言わず慎ましく生活しろ。」
「娯楽なんてけしからん。」
「人権を制限されても仕方がない。」

この手の意見はインターネット上では当たり前に流れてるし、リアルで聞くこともそう珍しいことじゃない
およそ同時期にあった「貧困女子高生」のバッシングの炎上を見ても明らかだ

「社会のお荷物は人権を制限されるべきだ。」という言論から
「社会のお荷物は生きていても仕方がない。」という言論の距離は
想像以上に近いんじゃないのか?


と思えてならなかった

植松容疑者という「怪物」を生み出したのは日本社会の不寛容さにあるのではないかと思えてならなかった

「生活保護は本当に必要な人だけに与えるべきだ」

生活保護バッシングは紋切型のフレーズが多いが、これはその中でも定番中の定番だ
多くの場合、不正受給(本当の意味での不正受給でないことが多い)や在日外国人と抱き合わせで使われる
一件もっともらしい「本当に必要な人」論は大きな問題を孕む

そもそも本当に必要だから生活保護を受給している訳だが、
ネトウヨが好んで使う「本当に必要な人」と「本来必要でない人」は恣意的に、感情的に分別される
要は自分が気に入るか気に入らないかだ
困窮者の態度が、来歴が気に入らないから「保護する必要が無い」と断ずるのは「死ね」と言うのに等しい

「改善できない人間」
「生きる必要のない人間」
が存在すると国民が認める土壌があって
ナチスは障がい者の「安楽死」を、ユダヤ人の虐殺を断行した

もちろん国家による直接的な虐殺政策がリアリティに欠けることは承知だけど、優生思想を肯定した先に明るい未来なんて存在しえないと思う

小川幸司先生の「世界史との対話」という本を何度も読み返している

ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」を取り上げ、アイヒマンが弱肉強食の法則で「生きる必要のない人間」の虐殺を合理化したこと、そしてアーレントがアイヒマンを「生きる必要のない人間」と宣告したことを論じている

このアーレントへの指摘は多くの日本人にも当てはまる
日本では死刑を容認する意見が80%を占めるからだ
俺自身も死刑についてはむしろ積極的に肯定してたけれど、相模原事件からは分からなくなり、今では死刑否定派に近い 「植松は生きる価値が無い人間だ」とはどうしても言えなくなった

ネット上では、生活保護に関するデマ、事実誤認、悪意のある誇張が非常に多い
それらの悪質な言論には知識のある者が反論をしていくべきだと思う
確証バイアスの虜になっている彼らが聞く耳を持たなくても
同時に、「本当に必要な人」論も徹底的に批判していくべきだと思ってる

生活保護の申請を受け調査をしていると、申請者の親戚も生活保護水準以下の生活しかできていないというケースが多くあった
「生活保護を申請してはどうか」と何度も勧めたが、
「世間様のお世話になりたくない」
「生活保護を受けるのは恥ずかしい」
と言って断られてしまう。

彼らは生活保護を申請すれば間違いなく認定される
そして同時に生活保護バッシングする人たちが大好きな「真面目で慎ましい本当に生活保護を受けるべき理想の貧困者」でもある
だが、彼らが生活保護の申請を躊躇うのは生活保護バッシングが作り上げた空気によるものだと思う

生活保護バッシングをする連中は、行き過ぎた自己責任論者だ

「本当に必要な人」論では、学歴、職歴、病歴、婚姻歴、年金加入歴、あらゆる面で自己責任のふるいにかけられる

自分が悪いから生活保護を申請するのは申し訳ないという人たちはこうした呪いから解き放たれて、当然の人権を行使して欲しい

こういうことを言うと「理想論だ」と言われそうだけど、俺は大真面目だ
福祉事務所が当たり前に機能してたら、当然申請は全て無差別平等に受理されるものだから、窓口に来る勇気さえ持ってくれたらいい
財政面でも「生活保護費」としては厳しい数字が出てきても、見かけ上の話に過ぎないのではないか

そもそも我々一市民は生活保護費の増大による国家財政なんかよりも、まず我々一人一人の生の生活を案じるべきだ

先進国の中でも異常なほど捕捉率の低い我が国の生活保護行政なんてどうせ歪みに歪んでるんだから、生活保護申請の心理的なハードルを下げてまともな形にしないと議論すら成り立たない

生活保護申請の場で「恥ずかしい」、「申し訳ない」と涙を流す人を何度も目にしました。
本来誰でも利用できる制度なのに、多くの人が「苦しい」という声を押し殺して耐えています。
日本社会の一員、公務員の端くれとして、この現実こそ「恥ずかしい」、「申し訳ない」と思います。

人には様々な事情がありますが、皆個人として対等です。
複雑な社会を複雑なまま捉えること、そして基本的人権の尊重という単純な原理に立ち返ることの両方が大切なのだと思います。
生活保護CWの経験は原点として大切にします。

理想論一辺倒なタイプの公務員ですが、しばらくこの感じで頑張ります。

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