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今年のNHKは24時間テレビの裏に『聲の形』地上波初放送をぶつけてきたのか。障害者を「かわいそう」として感動ポルノで消化する日テレとの対比、エグい。いいぞもっとやれ。

あ~NHK・Eテレ、24時間テレビの真裏に『聲の形』をぶつけてきたのか…骨のあるスタッフが上にいるんだな…

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バリバラ公式サイトのスクショ
「なぜか障害者が1年で最も注目されるこの日」って一文で草生えた
しかも土曜日の夜はEテレで映画聲の形放送するっぽい!
24時間テレビのドラマの時間帯と完全に被ってて草 NHKまじで攻めてるなー


NHK Eテレ凄いな。
24時間TV、ワンピース、放送裏に 『聲の形』をぶつけてきたのも勇気あるし、何より今『聲の形』放送前まで難聴の方の番組だったからね。
ちゃんと意味がある

去年までのNHK 「24時間テレビにバリバラをぶつける」
今年のNHK 「24時間テレビに聲の形をぶつける」

うーんこの絶対24時間テレビ潰すマン 

NHK、24時間テレビの裏で聲の形からの精神障害兵士特集とか、攻めまくってんな。

我が国は「聲の形」「ワンピース エピソードオブ空島」「24時間テレビ 特別ドラマ」の3つに分かれて混沌を極めていた 

24時間テレビ→障害を持ってる人がチャレンジして応援。でもそれだけ。
聲の形→障害を持っている人、持っていない人。両者の繋がりを元にコミュニケーションをテーマにしている。

圧倒的に聲の形が好きなのとそれを取り上げるNHK好き

川井が24時間テレビの擬人化ってパワーワード見つけた 

川井さんが24時間テレビの擬人化って言われてて草

川井は24時間テレビの擬人化って的を得てるよなぁ

24時間テレビの100倍有意義な時間

24時間テレビの裏番組として「聲の形」入れてくるからなんだかんだでNHKを嫌いになれないw


今年のNHK Eテレ攻めてる。
従来から「障害者が〇〇に挑戦!感動!大団円!」という24時間テレビには賛同していなかったが、聴覚障害者が虐められている現実を描いた『聲の形』(25日21時~)、そして出演者(障害者)が本音を打ち明ける番組バリバラ(26日19時~)を24TVの裏で放送する

24時間テレビで障害者がどうとか感動ポルノ見せられるよりこうやってアニメでこうやって障害者の人たちのリアルな感じを見せてくれた方が若い人たちにも伝わると思うしいいと思う

映画『聲の形』が24時間テレビの裏で放送されたことが注目されているけれど、むしろ夏休み最後の週末にノーカットで全国放送されたことの方が意義があると思う。

生きていくこと、一人じゃないこと、がささやかな希望をもって描かれる物語だから。

24時間テレビ、ワンピースを差し置いてトレンド1位 それぐらい良い映画ってことや 

聲の形、今日放送した理由、10代の自殺件数が1番多い8月31日に関連させてたのかな。 今日の土曜日は8月31日までの最後の土曜日なんだよね。
聲の形が終わったあとにいじめについて相談できる場所の事を宣伝してるのを見て、もしかして、って思ったんだけど… 

24時間テレビ より、聲の形 がトレンド入りするTwitter。
いいと思う。聲の形 いろいろ考えさせられるものがあります。

※以下、ネタバレあり

本編への考察「”分かり合えない”ことのメタファーとしての聴覚障害」

聲の形が障害やイジメをテーマにしてるというけど、ソレらは単なるギミックに過ぎなくて、

本質的には「コミュ障達が不器用ながらもコミュニケーションを取ろうとする姿」を描いた作品だと思ってる

例えば西宮硝子、実は手話が出来て愛情も注いでくれる家族ともコミュニケーションがとれてない

聲の形が「障害に理解を!」や「寛容の精神を!」みたいな話ではない事を端的に示すのが西宮家の家庭であり、更に西宮家以外にもソレらがあってコミュニケーション不全が起こる場面が執拗に画かれているわけで

とにかくコミュニケーションという難しい営為の、苦痛醜悪必死希望を描いた作品という印象

『聲の形』連載時は今ほど発達障害やADHD、ASDなどの概念は広まってなかった(もちろん昔からあったが世間的には)けど、
あらためて『聲の形』という作品を見て、
これ学術的定義はともかく、何かしらの児童心理についての作者の体験を聴覚に託して語った作品だと思うんだよね

『聲の形』に限らず、
物語の中で聴覚障害は時に「コミュニケーションが取れない」ことの隠喩として使われがちで、数多くの名作ドラマを産んだ一方、実際には地元で聴覚障害の生徒集団によく会うけど、
生徒同士で手話や唇の言語を使ってめちゃ早口で「喋り」まくるし手を叩いてゲラゲラ笑いますからね。

C4Dbeginner
それを「見て」いる自分が、「うるさいよッ!」って思ったことに、驚いたことがあります

そうなんですよ。
聴覚障害の生徒集団に遭遇するとすごく「にぎやか」なんですよえね。
音はほとんどないのに、まるでお祭りみたいに雰囲気がガヤっている。人間が感じるあの「雰囲気」は実は音じゃなく、人間のコミュニケーションを感じていると判る。

この作品へのもう一つの批判として、障害に対する扱い方というのがある。
実はフィクションの中に登場する障害者の中でも、「映像作品における聴覚障害者」ってそれだけで1ジャンル出来るくらいの作品群なんですよね。
北野武の映画、岡田惠和のドラマ、野島伸司、例をあげはじめたらキリがないほどある

なんでこんなに多いのかというのは説明不要で、

映像作品における聴覚障害って「伝わらない心」のメタファーとしてものすごく映像的に人々に訴える力を持っているからなんだよね。

「何か伝えたいことがあるのだけど声を出せない人がそこにいる」ことそれ自体が「コミュニケーション」の映像比喩になる。

『聲の形』の西宮硝子の描かれ方もまさに「比喩としての障害」で、バベルの塔のようにカーストに引き裂かれ、言葉が通じなくなった小学校の同級生が、まるでイエスの元に弟子が集うように硝子を中心に再び集まる。

異なる言葉を話す人々を、言葉を発さない心が束ねる。
そこにはペテロがいてユダがいる。

C4Dbeginner
極めてキリスト教的な「赦し」についてがしがし描いてる作品として観てる

当時の感想にも書いたんですけど、まるで罪人たちがイエスの元に集い悔い改めるように、カーストに引き裂かれたいじめっ子たちがいじめられっ子の西宮硝子の元に集まり頭を垂れて祈る話なんですよね。
たぶん作者が感覚的に描いたらこうなってしまったんだろうと思う。

「『聲の形』の感想。」
https://twitter.com/i/moments/814984345190445056
だからたぶん、西宮硝子というキャラクターに作者が託したのは「聞こえないこと」というより
「言葉にできない何か」を抱えている存在だったんだろうなと思います。

今日「聲の形」の映画見た人は是非原作の漫画もお読みください。
一人一人の考えてることしっかり書いてあります。 

映画ではほぼ聖人の永束くんも距離感おかしい子で虚言癖があるし真柴くんも過去のいじめの経験から拗らせた目標持ってるしでみんなどこかしら歪んでるのが最高に青春してていいよね 

ここ初めて漫画で見たとき鳥肌立った

聲の形が私の中で名作になったのは

「君に生きるのを手伝って欲しい」という台詞。

よくある「一緒に生きて」とか「幸せにしてやる」とかエトセトラではなく

「手伝って欲しい」

自分と他人はどこまでも別人で一緒ではないけれど、だからこそ手伝うことが出来る、隣に居られる、素敵な言葉。

見る世界、聞く世界が広がるってきっとこういうことを言うんだな…

聲の形 の凄いところって、障害から生まれる齟齬を主軸として描きながら
問題はその外にあるっていう結論に導いてくれるところだと思うし、24時間テレビみたく障害の問題を障害の中で終わらせないところだと思う。

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