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「円満な家庭」って言っても続いてる家庭の中には、揉め事や争いがないってわけでは無くて

「互いの思惑が一致しない時には毎回話し合ってその時々の落としどころを探ってる」

って状態が成立しているだけなんだけどな。

要は「話が通じる」ってだけ。


「話が通じない大人を家族に抱えている」
ってこと自体が家族をやっていく上ではとにかく非効率なのよ。


とりあえず上手く行ってる家ってのは
「愛情に溢れた親や配偶者がいる」
ってわけじゃなくて、
「ただお互いの話を聞いて情報共有が出来るようになっているだけ」
なのよ。

私はまさか話が通じないのに我慢して一緒に暮らしている家があるとは知らなかった側なんだよな。

だからそっち側の言ってることが全然ピンと来なかったんだ。
実際に見るまでは。

「話を聞けない人」が家族の中にいると、その人だけが家族の事情を考えずに自分の思い込みだけで行動してしまい、それに家族全員が付き合わされるから、
「全員の事情を擦り合わせて今後の計画を立てる」ってことすら困難になってひたすら非効率なのよね。
そりゃあストレスがかかるし争いも増えるよな。

「その時々に誰の都合を優先するか」はさておき
「家族のメンバーの事情や気持ちはとりあえずお互いに把握して共有しておく」
ってことが出来てさえいれば、誰かに我慢してもらった時には後から埋め合わせだって出来るわけだし。

かかったストレスを時間差で解消するのも難しくはないのよね。

「愛情」は話が通じて互いに協力し合える関係が出来て、
お互いひとりでいるより楽になって余裕が出来たら勝手に溢れてくるもんなんで、
話が通じないのを愛情で持たせようとしても無駄が多いからすぐにエネルギーが切れる。

「息をするように話せない相手』と一緒に暮らすと息が詰まるのよね。

本当は「いきなり思ったこと」を片っ端から口に出してもいちいち揉めずに済むのが楽な家なんだから。
同じ日本語を使っているつもりでも、育った時代や文化がズレているだけで家族でも話が通じないって事態に陥ることもあるんだよな。

「息するように楽に話が出来る」

ってことが家族の中で成立している場合は、
家族の知ってることをかなりの部分共有できるわけだから、互いの行き違いでトラブルは起きにくくなるわけで、一緒にいることで互いの苦手部分をフォローし合うのも気軽に出来るようになり、
家族でいることの利点は大きくなる。

少なくとも情報共有が出来ない状態で家族を続けることは家族で暮らす利益よりも、リスクの方が大きくなるよな。
話が通じない人がいきなり何をするかわからないんだから。

話が通じない人が家族に居ると結局何を行っても無駄ってことになって会話自体が最低限のものになっちゃって、お互いの考えや状況は何もわかり会えないままになってしまうわけで。

この状態だと互いの行動にも行き違いが増えるから、家族である利点がほとんど無くなるのよね。

「話が楽に通じる」ってことが先にあるから、話が通じない人達のように行き違いだらけでリソースのムダ遣いをしなくて済む分、効率的に暮らしていくことが出来るし、
そうなれば余裕が出来て「家族が楽しくなる為」に使いたくなるエネルギーも勝手に溢れてくるわけなんだよな。

そっちは結果なんだ。

最初っから家族や周りが噛み合わない形での会話をしている場合は、それが不利益に繋がるコミュニケーション方法だってことには、なかなか気がつかないらしい。
話を聞けなければ自分の知ってること以外を知る方法が狭まってしまうだけなのに。

言語が同じなのに、話が通じないストレスは半端ないよなあ。
これが家族だとほんと地獄。
意外と家族以外に対しては話が通じる人でとおってるから孤独。
対家族にだけ認知バイアスが99%かかって、共感はおろか、最低限の情報伝達すらできない人格を持ってる人と家族やると病む。 

「話が通じない家族」って効率が悪い上に身体にも悪いよな。

あぁ、これ凄く感じる。
親が話の通じない優しい面倒見のいい人だから、相手も似たような人を選んでしまいがちでね、それが愛かと勘違いしてしまう。
そしてあたしも話が通じない人種で平行線のスパイラル。

愛があっても話が通じなかったら、行き違いだらけで地味に削られ続けるからなあ…

「親が子供を自分の持ち物のように考えて子供の領域のことまで勝手に決めてしまう」ってんじゃ、子供にとっては親の存在はリスクにしかならないのよね。

お互い見栄張って隠し事したりしてると、情報共有が出来てるつもりでも互いの思惑が食い違ったりすることもあるわけで。

実はそんなもん無しで身も蓋もない話が出来た方が、お互いのリソースを効率的に使うことが出来るんだけどね。

家族ならばその方が楽になれるんだ。

「家がそもそもリラックス出来る場所として機能しているかどうか」の違いってあるよな。

私はそれがあるのが家族が暮らす上での大前提だと思ってたんだ。
だって安心できない場所に巣を作る生き物なんていないし。

家は休む為の場所なんだから、落ち着けない相手と一緒に暮らそうとするのはそもそも無理なんだよ。休めない家に住めば身体に悪いからそれだけで寿命が縮む。

家が一番安心できない場所として十代を過ごした後遺症か、正直、一人が楽。
一人だと誰も面倒なこと言ってこない。
人と関わらない事が安心、という人種も一定数居ると思うけど、それを「良くない」「人として駄目」と否定するのは少し違うかなと思う。
生きやすいと感じる場所はみんな違う。

「楽になれる場所に住まないと、そもそも生きていくのに一番必要な休む時間が手に入らない」んだから、
そこ最優先に考えないと生き物として詰むよな。

「話が通じる」ってことは、互いの事情を事実として認めてもらった上で、
「折り合い」と「落としどころ」を探り合うことが可能になる

ただそれだけの為に必要な条件なんだけどな。

「他人の事情」を話通りに「誰にもどうしようもない事実」として納得したら、やっと「落としどころ」を探り出す作業に入れるからね。

「親が子供に対して何をしたか」よりは「親が子供の何を邪魔しなかったか」の方が重要な気がするんだよな。

「愛情」は全員が安心して暮らしていけて余裕が生まれたら勝手にわく。

そういうもんなんだよな。