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発達障害の人は「今度ご飯でも行きましょう。」という社交辞令をそのまま受け取ってしまうという話、どう考えても障害があるのは行く気もないのにご飯に誘う人間の方でしょ。

@1969ttnn わかります。人間不信になりますよね。
社交辞令でも何でも、その気がないのに言うことは嘘であり、嘘をつく人は嘘つき、信用できないと感じますね。

発達障害とか知らんけど昔から
「今度ご飯行きましょ〜」も
「飲み行きましょ〜」も
120%本気にしてきて
何度も「いつ行きます?」て聞いては
(マジにとってたのかよ…)
て顔されてきたけど、
一緒に行く気がないのにそういうこと言う方が120%悪いと思うし
これからも120%本気でしか受けとらないからな

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「それが社交辞令だ」と広く知られていたとして(実際にそうですが、知らない人もいる)、「もし言葉通り解釈されちゃったらどうしよう」と思わないのかな、という単純な疑問をいつも持っています。

@fepfeil 本当に食事行きたいのに社交辞令にとられました。

社交辞令なる儀礼が、そろそろ限界を迎えていることが分かる。
あいにく、この儀礼に代わるモノがあるのか、私には見えてこないのだが、しらじらしい嘘はたくさん、という認識が広がっていることは間違いない。

つまり、この「社会の発達障害」に対して、現代人はどう処理するのか、それが問われている。


僕はそれを言われたら「いつが良いです?」と言うようにしてます

その言葉にがっついて相手に引かれるまでがセット(^_^;)))

昔「いつがいいですか?」って聞き返したら「外人みたいなこと聞くw」て笑われた。

行く気もないのに、混乱を生じさせるだけで、無用な行為だと思う。
自分は発達障害かわからないですが、似た特徴があると自覚していて、とくに今お話されてるような部分に共感します。

明らかに「行きましょう」と言っているから、誘っているわけで。
それに対して「いつにします?」と言った時に誘った側が挙動不審になるのは、本当に意味不明ですね。

ちなみに私は、一回言われたくらいでは動じません。
山です。
「都合の良い日を教えてください」と言われてから、そこから勝負します。

心にもないことをペロッと平気で言えるようになることが「定形発達」なんですかねぇ。ややこしくなるから社交辞令なんて無くなればいいのにと思います。

 なーんでやねん! その一言で相手の反応を伺うのも一つの手段やんけ

嫌そうな対応してくるなら自分の印象があまりよく思われてないって事だから次からは控えめに接しようとか
逆に乗り気ならそこから積極的に接していこうとか今後の営業の舵取りにも使えるやんけ、そうゆうのも含めて社交辞令やないの

発達障害を持ってる人「社交辞令がわからない、本気にしてしまう、生きづらい」
別の人「社交辞令を言う方がクソ」

↑これおかしいと思う 
社交辞令は別に構わないでしょ。

万人には通じないから社交辞令を言うな、ではなくて、「通じない場合がある。そのときにどうするか?」ってことじゃないかな。

他にもあるかもだけど、この人には社交辞令は通じないんだな~って理解して気を付けること、もし言ってしまって齟齬が生じたらお互いに話し合ったり、謝ったりすること、が大切じゃないかな

からかいが通じなくて傷付く人がいるからって、誰に対してもからかうな!って言うのは違うよね。それと同じ。

これって言語感覚における「今度」の幅広さだと思います。
半ドンの土曜に「今度クワガタ取りに行こう」とクラスメイトと話して、その日の昼過ぎにフル装備のクラスメイトがアポなしで家に来て炎天下の中で絶対に居ないクワガタをずっと探した思い出。

社交辞令って不思議だよな。
皆、社交辞令という概念を知りながら、つまり嘘と知りながら嘘を付いて、嘘だと知ってるのに、本当に知ったような話をするという。
お互い狂った空間が生まれるよな。

これって誘った事になるの?? いつかお食事でも行くような関係になれたら良いですね〜のレベルの会話だと思ってました。

発達障害とかオタクとかのバージョンはさておき、「社交辞令なのに」というこの話が僕もすごい苦手なのは、結局発話者を見て判断できる問題じゃなく、

「自分の身の程を考えろよ」的な話だからなんですよね。

ここで空気を読むと「おまえはクズなんだから人と関わろうとするなよ」という話にしかならない

「え?本田圭佑と石原さとみとザッカーバーグ、マジで来るの?確かに誘ったけど、社交辞令なのに何考えてるんだろうなあいつら」

って言われることって絶対にないわけじゃないですか。
結局そういうことだと思うんですよね。

相手の心を読んでいるわけではなく、自分の社会的階層を読めという話でしかない

「社交辞令を本気にしてしまう発達障害の人」というのはちょくちょくTLでも回ってくるけど 「社交辞令が言えない発達障害の人」も結構いると思う。

本心でない事をさも本心であるかのように言うという概念がないというか。

発達障害の人が増加していると聞き、ふと考えたこと。今は非定型のことを『発達障害』という一つの障害として認定されているけど、実は発達障害の人は現代人よりも発達した未来人で、今後はどんどん発達障害の人が増えていき、面倒な空気読むとか社交辞令のない平和な世の中になりました、と。

別に自分が発達障害だろうが別にいいんだけど、「今度飯行きましょう」が社交辞令ってのはちょっと堪えたな。
俺はそう云われたら全部予定入れてきたし、何回リスケしても合わないひとは「縁がないってこういうことなんだなぁ……」とか感心しとったわ。 ほんますまんな。もう二度と云わんとってくれ。

「発達障害の人は「今度ご飯でも行きましょう。」という社交辞令をそのまま受け取ってしまう」ってのが話題だけど、発達障害でも別に社交辞令だなー、と解釈する人は多いで。
後天的に学習できれば。

今度ご飯行きましょうで社交辞令云々、発達障害云々と話題ですが こういう時は日本が生んだ叡知を活用するのが最適です 「いけたらいくわ」

「発達障害にとって社交辞令は~」というのは分かるけど、それが「社交辞令がわからないヤツは発達障害!」ということにならないか心配なんだよな。

自称コミュ強が心にもないこと言っておいて「うわコイツ真に受けてるよ発達障害だわw」って叩くための棒になったら嫌だ。

知識として「今度ご飯にでも」が社交辞令で、全くその気がなくても発されるセリフであると知らなければ、勘違いも何もそのまま受け取るんじゃないの?それを発達障害と見なしていいのかは疑問がある。文化を知らない人、に過ぎないとも。

社交辞令をマジでとってしまう発達障害がいるって話、普通に難しい社交辞令なだけで、発達障害絶対関係ないと思う。

でも「発達障害の人は社交辞令で飯食いに行きましょうって言うと本気にしちゃうんですね」
という本を書く人とは
あまり一緒にご飯行きたくないな……。

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