お願いします。
どうぞ
ありがとう。
語ります。男。自営。舞台は九州のクソ田舎とだけ。
俺の母は俺が4歳の時に死んだ。その亡骸の姿は何歳になってもハッキリと覚えていて頭から離れた事ははない。しかし心のどこかで『これは脳の中に作られた嘘の映像なのかもしれない』とも思っていた事もあったんだ。
母との思い出なんかは当然ながら無い
なんせ死んだのは俺が4歳の頃だからね
その全てを忘れてしまっている
しかし、唯一残された頭の中の映像は
それが亡骸であっても母であることには間違い無いのでだから
その映像が残っているだけでもマシだと思ってる
俺は父の事が大好きだった
母の死後俺は祖父母に預けられていた
父は仕事の関係で遠くにいっている事が大半で、帰って来るのは月に1~2回だった
俺は父が帰って来る度に飛びつきながら抱きついていた事を覚えている
祖父母は優しかったが創価学会員だった
南無妙法蓮華経は朝晩唱えなければならなかったが
夜の会合は同世代の子供たちと会えるし
お菓子とかも食べられるので楽しかった
最終的に俺はそれを信仰する事は出来なかったが
祖父母の葬儀の際は若い学会員の皆に随分と助けて貰ったので
それは感謝している
やがて俺は祖父母の所を離れ小学3年の頃に叔父家族の元へ居候する事になった
今となって思うのは親族で押し付けあったのかも知れん
5~6歳程上のの従兄弟によく遊んで貰ってた
ガンプラ一緒に作ったり、金曜8時のワールドプロレスリングと火曜に出る週刊少年ジャンプが共通の楽しみだった
俺はキン消しを集めていて、従兄弟にも手伝って貰っていた
しかし小学4年の時に突然叔父家族の元を離れる事になった
それは父が働いていた会社の女社長の家に住むことになったからだ
その女社長と父は愛人関係で父もそこに寝泊まりをしていた
女社長は所謂シングルマザーで長女と3人の息子がいたが
長女と息子の上の2人は既に家から離れていて
俺は2歳上の男の子と父と女社長と一緒に生活する事となった
『初めて』父との1つ屋根の下の生活が始まったのだが
父と女社長は仕事の都合帰ってくるのは23時を回るので
一日の殆どは2歳上の男の子との生活だった
炊事洗濯掃除は基本的に俺たちの仕事だった
おかげで小学校卒業する頃には既に料理のレパートリーが20種類程あったし
全ての家事はその男の子と二人で楽しくやっていたので特に苦労では無かった
しかし小6から中1にかけて俺を悩ませる事が起こり始める
女社長にきつく当たられる様になってきたのだ
例えば俺の誕生日の事について話すと『実はその誕生日は嘘で本当は○月だよ』とか
『お前が居たらお金がかかり過ぎる』などとチクチクと言われた
たぶん父との関係や事業の事で、調子の悪いときに当たられていたのだろうと思う
割とつらかった
2歳上の男の子なんだが基本的に仲良くはしていたんだけど、彼にはサドの気質があった
勉強を教えて貰っていたのだがミスがあるとパンチやビンタが飛んでくる
またある時は彼の持っている『ボム』や『ダンク』という雑誌を勝手に読んだ時、わざわざ感想の述べさせられたりした
俺はシャイだったのでエロい描写部分の感想を述べさせられる時は非常に恥ずかしい気持ちだった
さらに衝撃的な事を体験する
彼と俺は、彼が小学校を卒業するまでは一緒の布団で寝ることが多かったのだが
深夜に何度も股間をまさぐられた事があった
パンツの中に手を突っ込まれた事も多々あり
その時は恐怖しか無く俺は寝ているフリをするしか無かった
(もちろん彼は男で、俺も男)
なんだホモスレか
そんな事が重なり中1の夏に俺は『この家を出たい』と父に言った
俺から理由は話さなかったが父も理由は聞かず『わかった。2人暮らしをしよう』と言い
夏休みが始まる直前にアパートに引っ越す事となった
何だかんだお世話にもなった女社長と2歳上の彼とは、その後は殆ど会う事は無かったが
彼は大学を卒業後程なくして独立しバーをオープンする事になる
その時に初めて彼の性癖をあらためて理解する事となり
彼がマイノリティである事を理解した
父との2人暮らしが始まった。炊事洗濯掃除は俺がする
父も以前の生活よりは少しは早く帰って来る様になり
この頃が一番会話が多かったかもしれない
だが、この生活はたったの2週間で終わりを告げた
やがて父は家に帰って来なくなった
とは言っても10日に一度位は帰って来て
生活費として1~2万円程のお金をおいていった
父はおそらく女社長の所に戻ったのだと思う
後から聞いた話だが、父に近い人物に言わせると
当時の父は自由奔放な人だった
酒は飲まないが麻雀などのギャンブルには目が無かったみたいで、随分と失敗もしていたらしい
俺が高校生の頃は、女社長の所を辞めて起業した事もあったがすぐに失敗したみたいで
俺のアパートにも面倒臭い筋からの電話が沢山かかってきた
女社長にも随分と迷惑をかけていたようだ
中1の夏、アパートに一人ぼっちとなってしまった俺はと言うと…
寂しさや、悲しさもあったが
それ以上に『自由』が勝った
勉強は辞めた
悪そな奴らとだいたい友達になった
夜な夜な遊ぶ様になった
月に5~6万円の自由にできる金があるので
欲しいゲームは簡単に買えた
欲しいエロ本も簡単に買えた
1.2まんが5.6万?
>>29
月によっては2万×3回の時がある
そしていつしか
大好きだった父は
そうでもなくなった
ある日引っ越しのダンボールの中身の確認作業をしていたところ
父に宛てられた手紙を発見した
それは母から父に宛てられた手紙だった
それは唯一、俺の頭の中にある母の記憶である亡骸の映像が
『事実』であった事を裏付ける証拠だった
それは母の『遺書』だった
俺の頭の中にある母の唯一の映像は
『自殺した姿』なのだ。
面白い
遺書の中身は全ては理解出来なかったが
どうも父はその頃にも起業していたらしく、
同経営者に資金を持ち逃げされ借金だるまになっていた様で
その逃げた共同経営者に当て付ける為に自死を選んだ様だった
死んだ理由はともかくとして
中2だった俺はこの日から今に至るまで『母の亡骸』という脳にこびりついた映像に加え
『遺書』という今ここにある物質
そして『死ぬ意味』『生きる意味』などの本来考える事すら無意味なはずの不安定な感情を持ってしまう事となってしまった
とはいえ不意に襲いかかるフラッシュバック的な瞬間と
その時の自分の『情緒』の落とし所を見失う事を除けば
後はなんら変わらない生活が出来るので大きな問題では無かった
さて、前述の通り中学3年間は全く勉強しなかったのだが
世間体というレールに乗っかり近くの公立高校を受ける事になった
それでも勉強はせずドラクエ3に夢中だった
筆記試験は全く出来なかったが、当時コミュ力が高かった俺は、面接試験で試験官の心を掴み入学にこぎ着けた。
田舎の高校だしね。
なんとなく高校に行った
悪そな奴らはいなくなったが三年間楽しんだ
なんとなく決めた就職先もコミュ力で勝ち取り
なんとなく成人した
ちなみに就職先は東京
何の考えもなく本当にただの勢いだけでクソ田舎から上京した
職種はシステムエンジニア
しかしその会社バブルの崩壊を煽りもモロに受けていて
入社たったの4ヶ月であえなく倒産
つーか、会社側もこうなることは解ってたやろ?初めから新入社員取るなよ!と思った
中3でDQ3ってもう50近いな
大都会でいきなり路頭に迷ってしまったが
せっかく東京に来たので倒産した会社の寮に居ついてたら
倒産した会社の上司のツテでなんとなく再就職にありつけた
システムエンジニアになる予定で東京来たのに、なぜか高層ビルの建築現場にいたww
20歳で残業120以上やったら月に50万超えた
良い時代だった
こっから足早に行くが
なんとなく田舎に帰って
なんとなく再就職して
なんとなく地元の女性と結婚して
なんとなく会社辞めて
なんとなく独立した
ハッキリといってしまうと
俺は今まで努力した事が無くて
コミュ力と、後先考えない決断力で生きてきた
勉強してない割に文章読みやすくて上手いね
>>43
ありがとう
おっさんいくつ?
>>44
イチローと同い歳
時折、例のフラッシュバックを時折体験しながらも
気の向くまま、身の向くまま。
そして父がそうであった様に
俺もまた『自由』だった。
そして息子が生まれ
なんとなく父になった
俺の父や、俺みたいにはなって欲しくはないと思った
しかし父とは何なのだろうか?
父の在り方は父からしか学べない
俺は父からそれを学んでないのだから
どうして良いのかわからなかった
ただ、俺にとって、『かけがえのない』ものである事は間違いなかった。
父は俺と向き合う事はしなかったから
俺は出来るだけ息子と向き合う様にしたが
俺の根底にある『自由』が邪魔をした
勉強したくない?宿題したくない?いいよ、無理すんな。
ゲームしたい?やればいいじゃん
結局、息子は俺に似てしまっている
息子の将来について、まぁいいか、と思う反面、大きな不安もある
さて、
俺自身は結局のところ、今まで計算もせず生きてきて
『なんとなく』な生活が続き今に至るのだが
この『なんとなく』精神と
『自由』を謳歌した結果
今、終演を迎えようとしている気がする
嫁と不仲になった
俺にとっては些細な嘘が、彼女を大きく傷つけた
なんとなく始めた新事業で大きな損失を出してしまった
既存事業は、持って生まれたコミュ力で何とかなっていただけなのに
知識の無い事業を新規でなんとなくでやるもんじゃなかった
鬱を発病してしまった。
これまで無縁と思っていた事が降りかかって来て、どうしたら良いかわからなくなった
何とか努力して切り抜けたいと思ったけど
努力した事が無いので努力の仕方がわからない
俺は今、人生が積んだ事を実感している
例のフラッシュバックが毎日訪れるようになった
父から、母から、もしその人たちが居なくとも
その本質を探求し、学んだほうがいい
俺は気づくのが遅かった
俺の心は歪んでしまった
そんな歪んだ考えで行き着いた、両親から学んだこと
俺が父から学んだ事は『自由な生き方』
俺が母から学んだ事は『死生感』
だから、この人生はもう終わりにしても良いんじゃないかと思ってる
おわり
死ぬなら完全に独りぼっちになってからにしろ
負の連鎖を繰り返すな
>>60
理解はしている
>>66
子供が一人前になるまでの必要経費は残してやれよ
子供が大学行きたいと言うのなら大学の学費までな
うちは東京の私大行ってくれたから1人あたり何やかんや1000万かかったわ
>>68
理解はしている
でもかかえてる借金もでかいんだ
自動的に死ぬようにプログラムされてるんだから自分で早める必要性を感じない
結局何で人生積んだって感じてるのか分からないんだけど・・・
>>67
俺も明確にはわからん
父がしてきた様に自由に生きてきた結果
嫁と別居し、デカイ借金かかえ、鬱になった
そして母は俺が4歳の時に死に方を教えてくれている
とりあえず
自分語りさせてくれてありがとうな
落ちる
鬱治してからもっぺん考えろ
まぁ借金もあると思うが
息子って親父がいる家庭では親父の背中を見て大きくなるもんだから
貴方が息子に
かっこいい父ちゃんだったと思ってもらえる父ちゃんであれば逝けばいいんじゃない?
30くらいの若い子がおっさんを名乗ってるのかと思ったら
ガチのおっさんやった。
>>1
事業で作った借金なんざ、破産して踏み倒せば良かろう。
それとも、何か変な筋から借りたのかね?
オッサンはまだ人生詰んでないぞ
まだ先の人生と子供もいるしな
ここで死んだらお前の子供はお前と同じく「親」を知らずに育って子供もお前と同じ運命辿りそうだけどな
お前一人の人生なら生きようが死のうが勝手だが、家族がいるならお前一人の人生じゃないからな
「責任」てものが嫌でも付いてくるんだよ
みんなその責任を果たすために必死で生きてる
50近いおっさんならそれくらい分かるだろ
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コメント一覧
コメント一覧 (35)
なんとなくで死ぬのは好きにしたらいいがそんな奴が子供作っちゃいかんでしょ
ケータイ小説
自分語りが好きな奴は自分が好きで好きでしょうがない人種
いつまでもこうやって自分に酔って自分語りしてヘラヘラ生き恥晒すんだろう
こういう能無し考えなし責任感無しのろくでなしほど畜生みたいに殖えてくし
人類はそろそろ出産と育児において人格や資質、資産等の審査と育児に関する教育を義務付けるべきだ
少なくとも先進国では
妻は自殺していない
上手く行ったかはわからんが、子どもに接して生活はしていた
とりあえず離婚して、自己破産でもして子どもに迷惑かからないようにすりゃ悲観することもあるまい
詰んでないな。
親から学んだ事が全てではない。40代後半だろ、したらば今度は自分の意思で自分の生き方を決める事ができる。
言い換えれば、自分の育て直しだ。アダルトチルドレンにありがちな未発達な部分があるから、そこを育てなおすんだ。
そして、借金があっても自己破産という手続きがとれる。その後、働けないなら生活保護という手がある。
いかに自分の半生が惨めで、苦しくて、もう限界かということを切実に訴えると効果的。
まだまだだね。
とりあえずは、だ。子供に同じトラウマ植え付けて、負の連鎖をプレゼントしたいか?
こいつに出来る事は、負の連鎖を食い止める事だ。
ここ読んでたらいいけど。(創作でもかまわん)
つかこの程度で人生詰んだは言い過ぎ
悪そうな奴らと友達だったようだが、東京生まれでもHIP-HOP育ちでもなかったんだなw
33歳、ADHD+AC、非モテ系LGBT、性欲や恋愛欲なしで生涯独身、ちょいデブ、高卒、超低収入、借金あり、貯金なし、実家無し、1人暮らしで限界暮らし、ネット依存、学力も体力もなし。
(マシなのは酒煙草ギャンブル課金等に溺れてないことくらい)
せめて東京五輪まではと思ってたけど、もうそろそろ限界かな
俺の詰み具合みてからいってくれ
いけるんじゃないの?
躓く人は早い時期に躓くし
本人も言ってるけど、随所での努力次第でなんとか心の支えを構築できたのではないか・・
母親の件は可愛そうだとは思う
進学、就職して結構良い給料貰って
嫁さんも子供もいる時点で贅沢じゃねえの?
相当難易度高いぞ。
学校、仕事の時点で続けられない人もいるのに。
子供もまたなんとなく生きてなんとなく死に、それが繰り返されるというだけ。それが悪いと非難するのは、こうあるべきという理想があるから。それに他人を当てはめる権利はない。
ただ個人的には、一旦ゆっくり寝てゆっくりご飯食べて陽に当たりながら散歩とかしてみたらどうかなって思うけど。
語れる余裕があるし、比較的たいして悲惨じゃないんだ
こういう人が基準ってことだったら日本は幸せな社会だよ
似てるな、ウチの親と。
なんとなくとか言ってる前に、他人に
助けてもらったことを感謝してないよね、1ミリも。
助けてもらった経験があれば他人に恩を返す(当人じゃなくても可)
はずなんだけどね。
酷い人間だこの人は。
でも大きな失敗した時にハッと気づくんだよね。自分の頭の悪さに。それで色々考えてるのかなって感じ
が、ただ、もっと悲惨な自分の一番の悩みはなかなかタヒねないんだな、これが。毎日毎日、一日中タヒにたいタヒにたいと呟きながら暮らすキ印になってしまって、どうにもならんよ。
ま、とにかく、いくら離婚しそうでもまだ離婚してないんだろ、まだ隣に嫁と子供居るんだろ、だったら、まだ生きていける。
俺は嫁と子供は去って行き、友人知人に全てを失なったからね、そこからが本当の地獄だよ。
氷河期から見たら羨ましいことこの上ない
こんなに読ませる文を書けるのに詰んだとかもったいない
うまい文章と人の人生の話を見聞きするのが好きな俺みたいなやつのために、匿名投稿でも私小説でも何でもいい、生きて書いてくれ
その「なんとなく」をもっと知りたい
あんたの人生に興味がある
私小説と日記はちゃうねんでえ?私小説形式もややもするとこーんなふうに自己顕示欲チラついて(「私を知って!私を見て!」)扱いづらいねんでえ?
おっそんみっともなす🍆
「なんとなく」じゃ運が続いてる内しか上手くいかないしね
でもなんとなくで50近くまで生き延びれたんなら上等な気もするけどな
俺は色々なハンデを埋め合わそうと理詰めで必死に生きてるけど割ともう限界だし(笑)
俺がこの人みたいに理論無視してなんとなくで生きてたら多分十代前半で死んでるよ
去年まで正社員やったが薄給な上ストレスで大腸炎、鬱発症
クローズで派遣の仕事をして2カ月、すでに職場で浮いてる
詰んでるっていうのはこういうのを言うんやで
安楽死があればなあ、死は唯一の希望やね
コミュ力あるだけで羨ましいわ
どうやら俺はガチャで負け組SSRを引いて大爆死したようだ
もう人生諦めてる
世界中の人間が自分含めて全て消えるスイッチがあったら多分俺は躊躇いなく押せるだろうな
それくらいこの生きにくい世の中が大嫌いだわ