書くので聞いてください
暇やしどうぞ
僕の両親は中卒
父と母は中学卒業と同時に同棲を開始、翌年結婚
兄が生まれ次の年に僕が生まれた
両親はまだ若いし中卒だしで収入が不安定だったので
兄は2~3歳くらいの間、田舎に住む母方の祖父母が引き取られていた
僕は東京で父と母と暮らしていた
男は結婚18からじゃなかったっけ
>>6
ごめん、翌年じゃないな
結婚の翌年に兄が生まれたって書こうとして変なふうになってしまった
僕が2歳になって母も働き始めた
その頃、兄も東京の家に帰ってきていた
母が働くので僕と兄は保育園へ預けられた
僕は小さい頃からよく眠る子供だった
「お前がお腹にいる時、母は寝てばっかりいたからお前も似たんだろう」
母の姉(僕にとっての叔母)はそう言っていた
だから僕は朝、保育園に行くために起きることが苦手だった
朝が弱いとかではなく何をしても起きない
これは今でもそう
どれだけ長い間大音量で目覚ましをかけようとその音が聞こえないのだ
目が覚めているけど起きないのではなく目覚ましが聞こえない
休日は半日以上寝てることもある
とにかく1度寝たら起きない性質は幼い頃からのものだった
そのため毎朝母は僕を物理的に布団から引っ張りだしていた
ほうほう
しかし年子の兄弟を朝保育園へ送り、自分も仕事に行く準備をしないといけないのは大変だ
ある日僕は家に置いていかれた
たぶんなかなか起きないので保育園には休ませると連絡を入れ、兄だけを保育園へ送ったのだろう
朝(というか昼くらい)に目覚めると家には誰もいなかった
僕は「ああ、起きないから置いていかれたのか」と一瞬で状況を理解し、次の瞬間には保育園へ持っていくカバンを持って家を出て1人で保育園へと向かった
当時住んでいた家から保育園へは毎朝母が自転車で送っていた
僕を前の椅子、兄を後ろの椅子に乗せて片道15分くらいだったと思う
母の体力もすごい
後に大人が自転車で15分かかる道を保育園児が歩いたのも驚きだけど
毎朝自転車でそれなりのスピードで通り過ぎる道をよく覚えていたものだ、と関心された
何分歩いたか、とかは全く覚えていないがとにかく無事に保育園にたどり着いた
不思議と道には迷わなかった
しかし保育園に到着すると先生たちが驚いた
「え!?今日お休みじゃないの!?」
「ひとりで来たの!?」
僕は朝起きたら家に誰もいなかったからひとりで来たことを伝えた
先生には「もうひとりで保育園に来ちゃダメだよ」
と言われた
この話は保育園の先生にとっても衝撃的だったようで卒園式のときにも蒸し返された
大人になった今でも母がこのエピソードを口にする
そんな訳でちょっとおかしい子扱いだったのかもしれない
他にも保育園のクリスマス会で手話で「真っ赤なお鼻のトナカイさん」をやることになったときも
僕は手話をひととおり見ただけで全て覚え出来るようになった
先生もびっくりしていた
それで下の年次の組に手話を教えに行けと先生に言われ、年下の子たちの前で真っ赤なお鼻のトナカイさんをひたすらやらされた
とにかく記憶力が良かったのかな
1度読んだ本もすぐに暗記して諳んじることが出来た
テレビのCMもすぐに覚えて変なセリフもよく真似していて周りの大人を凍りつかせたこともある
そしてひとつ上の兄の卒園式では「贈る言葉」みたいな卒園おめでとう、的なものを暗記させられて発表した
ひとりで5分くらい喋ってたから
だんだん保護者がザワザワしだしたのを覚えてる
それで不安になって先生の方を見たら「大丈夫だよ」と目で合図してくれて安心してもう5分喋った
終わってからシーンてなって「すごーい!」って拍手が起こったのが幼いながらに嬉しかった
翌年の自分の卒園式でも同じように10分くらいのセリフを喋った
練習のとき去年のセリフをまんま覚えていて喋ったら園長先生にドン引きされた
「怖い」って言ってた
で、自分の時の卒園式でも10分喋り続けて拍手喝采
母は周りの保護者から話しかけられまくっててちょっと大変そうだった
というのも母は他のお母さんたちより若かったし
今で言うヤンママみたいな感じだったので「あの母親からこんな子供が……」みたいな衝撃があったんだと思う
僕はとても記憶力が良かったけど特別な教育は受けてなかった
よくある幼児教育とかは何もない
習い事もしていなかった
兄も記憶力がよくて世界の国旗と国名を覚えていたり
録画した何百もある仮面ライダー、戦隊モノのビデオを順番に並び替えたりしていた
母は教育には熱心ではなかったので僕と兄は地元の公立小学校へ進学した
小1で国語の授業で「入学式の思い出」みたいな作文を書いたとき
僕の書いた作文が全校生徒に配布される学校便りに載った
校長先生に「小1が書く文章とは思えない、素晴らしい」と絶賛された
僕が小学校に入学する前、両親が離婚した
僕と兄は母親に引き取られた
生活が厳しくなったようでしばしば給食費や教材費を滞納していたらしい
しかも母はヤンキーシングルマザー
担任の先生から「生活で困ってることはないか」と心配されていた
授業参観では僕の母は周りのお母さんたちより若かったしヤンキーだったし目立つ存在だった
けど成績は良かったから中学受験を見据えて連日塾へ通いつめる子達より成績が良かったからそういう育ちの良い友達とも仲良くしてもらえた
僕の小学校の成績は上から順に「よくできる」「できる」「もう少し頑張ろう」だったけど、僕は「よくできる」しか取ったことがなかった
でも母は教育に興味がないので僕は地元の公立中学校へ進学した
公立中学校だったけど中学受験で失敗した子達もちらほらいた
もちろん成績の悪い人もたくさんいた
僕の家は貧乏だったので塾には通ってなかったけど中学校でも成績は毎回トップだった
で、こうなるといじめとはいわないけど妬みみたいなものも生まれてきて僕はクラスで浮いた存在になった
クラスメイトとは話せないから僕は先生たちと話すことにした
中学校でも相変わらず給食費や教材費を滞納していたので先生たちからは哀れまれてたのかもしれない
僕は色んな先生のところにいって話をした
僕が一番好きだったのは英語のマイケル先生
マイケルはネイティブスピーカーで英語のコミュニケーションの授業を担当していた
当時初めて英語を学ぶ僕には英語で話すことが楽しくて仕方なかった
僕は休み時間になるとマイケルのところにいって英語で話しかけた
違う言語が通じることが嬉しかった
マイケルはユーモアのある人だった
「日本語わかる?」と日本語できくと
「no,I can't」と返してくるような
それから僕はもっと英語でコミュニケーションできるようになりたい、と自分で英語を勉強するようになった
初めのうちは頭の中で日本語に直しながら英語を聞いていたんだけど
ある日いきなりマイケルの言ってることが英語のままで理解できるようになった
そして自分の言いたいことも日本語を介さずスラスラ言えるようになった
中3の頃にはマイケルと普通に会話をしていて他の先生から驚かれた
そして中3のある日、英語の先生から東京都の英語スピーチ大会に出るよう薦められた
その日からマイケルと英語のスピーチを作る日々が始まった
僕はネイティブスピーカーではないし外国に行ったこともないので細かなニュアンスとか表現はマイケルに添削してもらった
その時も会話は英語でしていたので周りの先生にはとても関心された
で、僕は記憶力がとても良いことは前述の通りなので
完成したその瞬間から諳んじることができてマイケルはぶったまげてた
スピーチ大会ではそれなりの賞を獲得した
僕は10分間のスピーチ中1度も原稿を見なかった
というより原稿を持ち込んでいなかった
審査員のおじさんに「君すごいね!」と言われた
母もスピーチ大会に来てくれたが「何言ってるかさっぱり分からなかった!」と言われた
そして相変わらず金髪の若いヤンキーは目立っていた
中3というと高校受験だけど僕は貧乏で塾には通わなかった
しかも貧乏だから公立高校しか選択肢はなかった
母はやっぱり教育に興味はなかったので「働くなら商業高校オススメ!」と商業高校を推していた
でも東京にある商業高校って偏差値低いところばっかりだから学校の先生は「商業高校なんて勿体ない!」と真っ向から対立
僕は家が貧乏だし働こうかなと思っていたので商業高校へ進学を考えていた
この頃僕は貧乏なことが本当に嫌だった
僕の住んでいる地域の中学校は夏休みに海外留学できる制度があった
僕は英語が大好きだったのと自分の英語がどれだけ通用するのか試したくて留学に手をあげた
しかし学年主任のおばさん先生に
「言いにくいんだけど、君の家、給食費とかも滞納してるし留学はタダじゃない。留学に出せるお金があるなら給食費払ってもらいたい」と言われ、留学の夢は叶わなかった
僕は泣いた
その日午後からの授業があったけどずっと図書室で泣いていた
そんなことがあり僕はひどく傷ついていた
もう貧乏は嫌だ、早くお金を稼ぎたい!とそればかり考えていた
だから三者面談で僕は商業高校に行くと伝えていた
しかし商業高校で一番偏差値の高いところでも僕の偏差値とは何十も離れていたから担任の先生はいい顔をしなかった
「本当にそれでいいの?」何回も聞かれた
「僕の家、お金無いから」
担任の先生にはそう答えていた
先生はそう言われると何も返せないようで深刻そうな顔をして
「そっか」と返してきた
ある日僕が職員室の側でマイケルと雑談していると学年主任のおばさん先生に声をかけられた
「留学のこと、ごめんね」
おばさん先生にそう言われるとあの時の嫌な記憶が蘇ってまた泣きそうになった
「たしかに君の家が苦しいのはわかってる。そのせいで君がつらい思いをしたこともわかってる。けどお金を理由に教育を諦めないで」
おばさん先生はちょっと泣きそうだった
「君には才能がある。君が良い高校に行って良い大学にいけば、今商業高校に行くよりきっといい未来があるはずなの」
「だから進学のこと考えてみてくれないかな?」
おばさん先生はこんなことを言っていた
「お金を理由に諦めるな」という言葉がすごく心に突き刺さった
僕の両親は中卒だから大学進学なんて選択肢は全く考えていなかった
けど大学にいけば留学や中卒よりお金を稼げる仕事に就ける
僕は普通科への進学を決心した
そこから僕は猛勉強した
塾には通えなかったので学校の先生を捕まえて作文を見てもらったりした
母は普通科に行くと決めると少し驚いていたけど「やりたいようにしなさい」と言ってくれた
ただし偏差値とかはさっぱり分かっていないので僕の成績を見ても「ふーん」という感じだった
受験シーズンが近づいてくると同じようなレベルを目指すクラスメイトと少しずつ仲良くなった
模試の結果を見せあったり難しい問題を教えあったりした
マイケルとは相変わらず話していた
僕は大学に進学して留学したいと常々話していた
マイケルに夢を語ることで受験の息抜きになっていた
勉強の甲斐あって僕は進学校に合格した
「塾に行かずに〇〇高校に合格した」ってことで学校のヒーローみたいになっていた
マイケルも喜んでくれた
母だけは「〇〇高校ってすごいの?」みたいな感じで相変わらずだった
サヴァンだな
>>34
サヴァン症候群、特に指摘されたことはないんだけど僕の能力も当てはまるところはありますね
しかしそんな栄光の高校受験が終わり、高校時代に入ると暗黒時代になった
人生で初めて挫折を味わった
というのも公立高校とはいえ有名塾に通ったり家庭教師をつけて猛勉強の末に入学してきた人が多く、周りはお金持ちのお坊ちゃんお嬢様ばかりだった
「世の中にはとんでもない金持ちがいるんだなあ」と思いコンプレックスに苦しんだ
相変わらず教材費を滞納していて
けど周りはお金持ちばかりで滞納する人は皆無だったので担任の先生につらく当たられた
僕は部活に入っていたんだけど
「金がないなら部活なんてやらないで働け!」と言われたこともある
お金がないと何も出来ないのか、とまたしても絶望した
僕は次第に学校に行かなくなった
担任に辛く当たられるのも
周りの人と比べてしまうのも辛かった
しかし苦労して働く母に「家が貧乏なことでつらい」とは言えなかった
しかし母は「行きたくなったらいけばいい」と言っていた
後から知ったんだが、担任は母にも毎日「金払え!」と半ば恐喝のような電話をしていた
そんなとき中学校のときのおばさん先生から電話があった
「今年の中3のみんなに、受験についてのアドバイスのスピーチをしてほしい」
という依頼だった
話す内容は主にふたつ、受験に向けてと高校生活について
学校に行っていない僕がそんなこと、とは思ったが
「君はうちのヒーローだから」というおばさん先生の言葉によって半ば強引に承諾させられた
僕は何を話そうか考えていた
受験についての心構えはいいとして、高校生活について語れることなんてなかった
そのときの暗い気持ちで思いつくのはつらいことばかりだった
僕は打ち合わせのために中学校を訪れた
久しぶりの校舎に懐かしさを覚えながらおばさん先生に挨拶した
そこにはマイケルもいた
僕は久しぶりに英語で会話をした
生気が蘇ってくるようだった
「あー、生きてる」みたいな
ぐしゃぐしゃに丸めた紙に水を垂らした時のようなふわーと自分の感情が広がってくるような感覚だった
マイケルは「夢に向かって頑張っているか」と訊いてきた
周りとの経済的な格差に悩んでいること、学校にもあまり行けていないことなどを正直に話した
なんとなく英語の方が素直になれる気がする
自分が自分でいられるような感じ
「君が中学生のとき希望に満ち溢れた表情で話していたことを今でも覚えている。そのときの夢を忘れそうになっているならなぜそうなったのか?今でも夢を叶えたいか?だとすればどうするべきか?よく考えるんだ。」
"Don’t lose faith."
マイケルはこう言っていた
僕はもう何を話すか決めていた
スピーチの会場は体育館
中3のみんなとその保護者も結構参加していた
決して裕福な家庭の集まる地区ではないこの中学校から〇〇高校に進学したことで保護者の注目も集めていた
保護者が聞きたいことは受験勉強に関することだったと思う
しかし僕は受験勉強についての話はそこそこに夢を持つことに関して多くの時間を割いた
僕はいつか海外へ留学してみたい
それはマイケルが僕に英語という可能性をくれたからだ
この中学校でも夢はそこらじゅうに転がっていてその可能性を見つけられるのは自分次第
どうか周りの色々なことに興味を持って自分の夢を見つけてほしい
そして保護者のみなさんは子供の夢がどんなに突拍子もなくても決して笑わず信じてあげてほしい
人の可能性は無限大で中学生の今ならどんなことにもチャレンジ出来る
マイケルが夢に気づかせてくれて可能性を信じてくれたおばさん先生がいたから夢を諦めずに済んだ
僕もまだまだ子供だけどみんなも自分を信じてあげて
こんなような話をした
ほとんど自分を励ますように話していた
僕が話終えると会場から拍手が起こった
スピーチが終わって職員室に戻ると保護者のお母さん方が何人か来てくれた
感動したとか子供を信じてあげようと思いますとか色々と感想をくれた
おばさん先生は「まだ高校生になりたてのクセに相変わらず大人びたことを言う」とちょっと揶揄いながらも
「でも感動した、きっと君の気持ちも中3のみんなに伝わってるよ」と褒めてくれた
最初は引き受けるつもりなんてなかったけど、やって良かったなと思った
人から褒めてもらえることは嬉しいし
何より自分のやりたいことがハッキリしていた
次の日から僕は高校に行き始めた
学校の授業はかなり進んでいて追いつくのが大変だった
教科の先生の中には休んでいたからという理由で課題の提出期限を伸ばしてくれる人もいて何とか遅れを取り戻していった
僕はときどき中学校に行ってマイケルと自分の近況や夢を語っていた
僕にはこの時間が大切だった
高校2年生になると文理選択があった
文系と理系のどちらの学部に進学するかを決めるんだけど、僕は文系にした
そして2年になると担任の先生が変わり、英語担当のおじさん先生になった
この人はとても良い人で、教材費の滞納や一時的な不登校のこともよく理解してくれていて以前の担任のように恐喝じみた電話をかけてくることはしなかった
それどころか
「君はお金のことは気にせず、高校生活に集中しなさい」と言ってくれた
「僕も高校生の頃、家が貧乏で苦労したから君の気持ちよくわかるよ」とも言ってくれて本当にありがたかった
この先生には感謝してもしきれない
この頃になるとみんな少しずつ大学受験を意識しだす
僕も例外ではなかった
一時は高校卒業したら働こうかな、とも考えていたが担任のおじさん先生が「まさか働くなんてこと考えてないよね?」と言ってきたので大学に進学することにした
とは言っても貧乏家庭の僕、もちろん進学先は公立しか無理だろう
母は「大学へ行くなら学費は自分のお金で通ってほしい」と言っていた
というのも母は僕が高校を卒業したら働くものだと思っていたので大学に通わせるお金は一切貯えていなかった
担任の先生はそんな事情も汲んで奨学金のことなどを調べてくれた
幸いにも僕の通っていた高校では放課後に補講などを開催し受験対策をやってくれた
塾に通うお金がない僕にはとてもありがたかった
しかも周りはみんなお金持ちなので予備校や塾に通う人がほとんど、学校の放課後補講に来る人は少なかった
なので僕は質問し放題だった
2年の秋ぐらいからほとんど毎日放課後補講に参加していた
3年生の放課後補講にも参加させてもらうこともあった
ある時、日本史の先生と話していてこんなことがあった
「これは〇〇という人がやったことで、」
「あ!それたしか教科書の86ページの7行目に書いてあるやつですね!」
「え?……」教科書をめくる先生
「……うわ、本当だ。君、すごいね、一体どうやって覚えているの?」
「??ええと。僕は1度見たらそのページを写真みたいにして画像を頭に保存しているんです」
「……本当に?」
「はい、それで保存しておけばいつでも教科書読み放題じゃないですか。だからそうやっています。今までもそんな感じで。」
「君それ、特殊能力じゃん!」
どうやら僕の暗記方法は他の人と違っているようだった
このようなことがいつからできるようになったのかは覚えていないけど、たぶん保育園の卒園式のときにはすでに出来ていた
それであの10分スピーチができるようになった
小学校のころから授業中の暇なとき、家で読んだコロコロコミックを頭の中で読み返していた
日本史の先生との何気ない会話の中で僕は人とは違う能力を持っていることに気づいた
>>63
あ~、完全にIQ150クラスの勉強の仕方だ。
学校のテストや模試では相変わらず学年トップをキープしていた
予備校に通わず学校の勉強だけでトップだったので先生たちは鼻高々だったようだ
3年生になっても担任は変わらなかった
僕の家は貧乏だから要注意人物になっていて、それをうまくコントロールしてくれた先生に任せることになったんだと思う
3年生の秋くらいに母が病気になってしまった
母が働けなくなったので生活保護を受給することになった
担任の先生にも事情は話しておいた
「つらいと思うが、君は勉強に集中してて大丈夫だから」と励ましてくれた
3年生の一年間はあっという間に過ぎていった
僕はこれまで貯めたお小遣いとお年玉で受験料を払い、国立大学と私立大学1校を受験した
この私立大学は中学校のときのおばさん先生と高校2年からの担任の先生の出身校でどうしても受験したかった
結果は2つとも合格
僕の高校からその大学へは毎年何十人も合格者を出しているけど
予備校に通わず、ということで僕は中学のときと同じようにヒーローになった
担任の先生も喜んでくれた
母だけは相変わらず「〇〇大学ってすごいの?」と聞いてきた
担任の先生が色々と準備してくれていた奨学金の手続きを済ませ、無事に入学金を払い終えると少しほっとした
卒業式の日、僕は担任の先生と話をした
「貧乏家庭で一時は不登校になった問題児を見捨てずにいてくれてありがとうございました。先生がいなかったら今頃僕は何をしていたか分かりません。」
「いや、本当に苦しい境遇の中でよく頑張ったよ。偉いな。君なら夢を叶えられるよ、これからも応援しているからね」
僕は進学先を決める面談で担任の先生とこんな話をしていた
母は病気で来れないので僕と先生との二者面談だった
「君、本当に経済学部でいいの?」
「はい」
「でもこの成績なら医学部だって……」
「はい、僕は経済について学びたいんです。高校生になって教育と経済格差について興味が出てきて。僕はたまたま良い先生たちに出会えたから良かったけど、世の中にはお金が原因で進学を諦めている人がたくさんいるんだろうなって思って。」
「そう、君がそう言うなら応援してるよ」
そういうわけで僕は経済を学ぶ大学生になった
大学生になると国際交流もこれまでとは比べ物にならないくらいできるようになった
国際交流サークルとかのイベントを見つけては顔を出していた
英語で会話する機会も増えて楽しかった
そこでは帰国子女かと聞かれることもよくあって僕は嬉しかった
相変わらず留学してみたいとは思っていたけど何せ貧乏大学生だったので留学のためのお金がなかった
大学には相変わらずお金持ちの家庭のお坊ちゃんお嬢様ばっかりで僕は自分で稼いで大学に通っていると言うとみんな「えらいね」などと驚いていた
僕にとっては子供の大学の学費を出せるだけの収入があることの方が驚きだったけど
国立大に進学したんだよね?
>>69
書き忘れました、国立大学へ進学しました!
国際交流と合わせて僕は子供の教育支援のボランティアに参加することにした
お金がなくて塾に通えない子供に勉強を教えるボランティアで、僕はほとんど毎日その活動に参加していた
お金がない家庭の子供は教育にお金をかけられないから学力に問題のある子供たちが多かった
僕が貧乏だったけど勉強が出来たのは特殊能力のおかげということは分かっていたので、勉強が出来ない子供を見ても「どうして勉強が出来ないんだろう」とは思わなかった
毎日毎日be動詞を3つ覚えるのに苦労している中学生とか掛け算の出来ない受験生とか結構衝撃的な子もいたけど
中には賢い子もいて、でもあの頃の僕と同じように「商業高校へ行く」と言っている子もいた
そういう子には僕は自分の話をした
僕は貧乏だったし今も苦労して大学に通っているけどそれでもこの道を選んで良かったと思っている、と
それで普通科に行った子もいれば親の強い希望で商業高校へ行った子もいる
僕は教育格差と経済格差は根深い問題なのだと実感し、僕が全てを変えることは出来ないと悟った
だけどこういう教育支援は続けていこうと決心した
大学時代はほとんどこの活動とアルバイトに明け暮れていた
教育と経済を卒論のテーマにして研究していた
卒論はそれなりに評価をもらったけど僕は自分の無力さを実感するばかりで正直つらいものだった
大学卒業後は某金融機関へ就職した
資格をたくさん取っていつかボランティア団体の運営の役に立ちたいと思ったからだ
あと、僕は特別資格は持っていなかったけどTOEIC990点だった
就職活動では面接官がそのことを買ってくれて
「将来は海外へ行けるよ」と言ってくれたのでこの企業に決めた
配属は海外の金融機関ともやり取りをする場面が多い部署だった
みんなも経験があるかもしれないけど、新人は電話を取りまくれと教わると思う
僕も例に習って電話を取りまくっていた
ある時、海外から電話がかかってきたので普通に英語で応対していたら周りの先輩や上司がものすごい見てくる
何かまずいことを言ってしまったか、と焦ったがとりあえず上司に繋がなくては、と思い
「ABC商社のOliverさんからお電話です」と上司に繋ごうとしたら
「え?誰?」と何回も聞き返され、上司は英語の発音が聞き取れないことが分かった
びっくりするかもしれないが、海外と関わることが多い部署と言っても英語を自在に扱える人はほとんどいなかった
僕が海外からの電話で先輩に繋いでほしい、という電話を先輩に繋いだらその先輩は英語が話せずパニック、ということもあった
そして海外からの電話は僕が通訳する形に
海外のお客さんで「ようやくそっちにも英語が話せる人が来たんだね。良かった良かった」と電話口で言われたこともあった
「いや……君、すごいね、帰国子女?」と先輩に聞かれ、
「違います、むしろ海外旅行にも行ったことなくて」
と返すととても驚かれた
そういう訳で流暢に英語を話す僕を見てみんなすげー!ってなっていたようだ
俺も貧乏だったけどこういう話聞くとなんか嬉しくなるな
まあ俺は中卒底辺で頭は一切使わないけど
仕事柄、色んな外国人が会社を訪れることがあって
中国人に「ハサミ貸して」と中国語で言われ、ハサミを渡したら
「君、中国語も出来るの!?」と驚かれたことがある
大学生時代のボランティアで両親が中国人の子供に勉強を教えたことがあった
その子は日本語が分からない子供だったので僕は中国語を勉強したのだ
そういう感じで数年同じ部署で働いていたところ、ある日部長に呼び出され
「海外支店に行ってみないか」という話をもらった
僕はこの話をありがたく承諾した
僕はこうして中学生からの数年越しの夢を今、叶えようとしている
最後の方駆け足になってしまったけど以上です
読んでくれてありがとうございました
>>76
しっかし凄いね、凄いとしか言いようがない。 何ヵ国語でもいけちゃうじゃん。
>>77
英語と中国語は似てるので英語が分かっていれば中国語はそんなに難しくなかったです
これはいいハッピーエンド
あまり釣り臭くないのも好感がモテる
>>78
読んでくれてありがとうございました
おめでとう!
これからも頑張って!!
>>82
ありがとうございます!
頑張ります!
何だろう、本気で貧困と教育の問題に取り組んで欲しい。 政治の世界で
>>84
大学生時代はそんな野望を抱いたこともありますが、政治という大きなものに対して自分の無力感というか小ささを覚えてしまって
政治で大きいことをやるより末端の現場レベルで支援を続けていくことが僕に出来ることなのかなと思っています
>>87
せっかく、何ヵ国語も出来るのに野心が無いというか自分の分をわきまえていると言うか。 もったいない。
>>89
うーん、そうですかね
僕は大きい野心を持つことはあまりなくて1人の役に立てればそれで十分って感じなんですよね
欲がないとはよく言われますが
1さんはお母様のことどう思っていらっしゃいますか?
>>100
生んでくれたことに感謝しています
それから僕の人生に大きな口出しをしなかったことにも感謝しています
もし母に「商業高校に行ってくれ」と強く言われていたら今の僕はなかったですから
小さい頃から「勉強しろ」とも言われたことはないですしそれが良かったです
入学金も大学受験費も自分で出すことになってる身としてちょっと励まされた
>>95
おお!
えらいですね
あなたは大学に関する費用を親が出す人よりきっと大切に大学生活を送れるはずです
そういう人は得るものも多いと思うので頑張ってくださいね
夢を叶えるのはすごいなぁ
教育してくれた親に感謝。
子供の頃脳に少し障害があって普通の人より頭が弱いと診断されたおかげで無い袖振って英才教育してくれたんだ
短期間だけどお金大変だったろうなあ
とこのスレ見て思い出した
>>109
教育にお金をかけることはとても良いことだと思います
そしてちゃんと感謝出来るあなたも素晴らしいと思います
同じ貧乏としてめちゃくちゃ共感できた
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・障害/人種/特定の属性に対する悪意ある中傷/差別的発言
・特定の性別に対する悪意ある中傷/差別的発言
・記事内>>1に対する著しい中傷/差別的発言
・記事内容に目を通さず曲解した見解を述べ著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・記事内容と無関係に特定の思想/イデオロギーを複数回に渡り書き込み著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・上記に該当しない個性的な書き込みに対する著しい中傷/嫌悪の表明
暫く上記ルールで運用します(適宜改訂の可能性あり)
悪質な場合は予告なしで規制の対象とさせて頂きます
ルールを守ってお使いくださいませ
コメント一覧
コメント一覧 (51)
「ほれみろ!素晴らしいじゃないか!!だから全ては自己責任なんだよ!」
って抑圧論をウッキウキで展開する奴が割といるのが悔しい。
美男美女の、恋愛力・コミュ力もある親の、
若々しくて活きの良い精子と卵子からできた子供だと思うから
うちとは関係無しw
その手のゴミは自分の主張に都合の良い情報だけ取り入れるから
貧しい故に学力の低い子が多かった、賢いけど商業高校に行った子が居た話は無視するだろうな
この変な文章だからこそサヴァンだって気もする
文章の巧拙以前に違和感がある
確かに
貧困問題のことを知っているなら、こうした「美談」が自己責任論を強化させることもしっているはずなのに
欲を抑えられなかったのか
普通に現在とかの言葉じゃダメだったのか
まぁバッドエンドを期待した奴らを釣るためだろうが
金持ちなのも頭が良いのも才能であって
そこに違いはないのに貧困だけが可哀想みたいなのはなんだかな
はい嫉妬ですね
一点、お兄さんのことが殆ど書かれてなくて気になるけど、下の子ってこんなもんかな
仮に同じ親が中卒貧乏で当人がさほど頭が良くない人がいたとしたら(そんな人は五万といる)、彼は嫉妬してはいけないのだろうか
俺も読んでて似たような感想を持った
記憶力は天才的だが、序盤の親の結婚の下りの整合性すら取れていないことや、自分と他人の頭の違いに気付くのが高三と遅いこと、この辺を見るに知能が高い訳ではない。ただの暗記マシーン。後は彼の地域の公立中高が酷く低レベルだったんだろう。それで彼の記憶力由来の言葉遣いやらが際立ったと。
所謂イディオサヴァンだな
だいたいこいつの親も子供に無関心すぎだろ。子供の通ってる学校や志望校についてろくに調べもしないとか…中卒ならさもありなんという感じだな
運だから!結局全部運だから!先のことは誰にもわからないから好きに生きるのが一番いいよ!
優れた才能や人格を持つ人間が成功して弱者を導く社会になることが理想です。素晴らしい世界はまだ来ませんか
優秀だとか弱者だとかはその瞬間瞬間の話でしかない! 世界は複雑に絡み合い影響し合って作られている! 可能性を捨ててはならない!
従いたいヤツと、
そうでないヤツがいるよね。
確かに文才はないよね。
てにをはがおかしくて「祖父母が引き取られていた」ってなってたり、母の姉を叔母って書いてたり、感心されたを関心されたって書いてたり。
だからこそ創作ではないと思えるけど。
その協力者、理解者たちが社会に働きかけられるチカラと実践力がなければ意味ないけどね。口ではいいこと言うけれど実際には何もしない偽善者や、情が深くても地位も権力も実践力もない人間は、結局は人の信用を踏みにじって傷付けるだけ。
アメリカとかで今までノートも取った事ないような優秀な大学生に、まずはノートの取り方から教えるみたいなのやってたけどそういうレベルでもないんか
頭がいいのかそこまでじゃないのかいまいちぴんと来ない
文章読めば分かるが頭は大してよくないよ。文章変だし
下手くそだけどアイデアと構成で最後まで読ませちゃう
まあこういうの見て「俺も頑張ろう!」とか思えるならいいんでは
さすがに家柄と才能は別では?
「生まれ持った価値」(生得的価値)というくくりならその通り
高校の文学部が書いてる小説ってこんな感じだぞ
とりあえずストーリーとしては破綻なくまとまってるけど、すっきりしすぎてて現実感や人間味が感じられない
しかし感情の起伏がさっぱりな人生だなぁこれが天才なのか…
謙遜かもしれないけど正直に誇れ
気に触るわ
突き抜けてるやつはこんな一般的な幸せを幸せとは呼ばない
タイトルが悪い
めっちゃ嫉妬するし、羨ましい
これからも頑張って自分のため、そして親、周りの人、日本のために頑張ってくれ
日本が少しでも豊かになるために!
でもお前もこのサイトで自分語りしてるんだろ?
高校もそういう子にはバイト許可するし
中国語と英語が似てるってうせやろ?
必死に勉強したから言わせてもらうけどどこが似てんねん中国語は全然文法もちゃうやろ…ポルトガル語と英語は似とるけど
まあ>>1と違って必死に勉強しても日本 ポルトガル 英 中国(北京)しか出来てないんやけどな
「嫉妬してはいけない空気」が出来上がってて怖い
生まれつきであるなら尚更まともにやってる奴は「どうして」ってなるだろうに
本当に勉強ができる奴だと文系理系はあまり関係ないぞ
ソースは兄の嫁
文系科目の方が好きだったから文系クラスにいたが、
突然医者になりたくなって独学でどうにかしたらしい
それで国立に首席ってネタかと