理屈、論理こそ感情を超えて共有できるものなんだが
個人的な感情の機微を感じ取るゲームにそんな価値がある?
理屈、論理=道具
感情、情緒=遊び、目的、人間として大切なもの
みたいな立ち位置なのか意味わからん
論理も相当に高等な遊びにもなるし面白いものだろ
面倒な奴はノーセンキュー
自論を滔々と揮っても気持ちいのは本人だけ
>>6
持論も筋が通っていれば面白いものだよ
むしろ感情的な「俺はこう思う!」の方が遥かにつまらないし
気持ちいいのは本人だけ
>>9
そう思ってるのは本人だけ
普通の人間は大抵他人の自論にさほど興味はない
>>11
それを言い出したら何の根拠も論理性も無い感想の方が遥かに興味ないよね
理屈は案外共有できない。
理屈は要所で使ってこそ生きるんだよ
理屈っぽい奴って理屈っぽい奴が正論言ったら認めるの?
感情的な「俺はこう思う!!」←理屈・理論と呼ばれる
>>12
呼ばれないよ
理屈や理論は定義があってそれに基づいて論理的に構築されるものだから
表現方法が下手くそなだけだろ
理屈ぽくても、その理屈に非論理的な感情や大衆を入れて話さないから
のべつ幕なし理屈こねられても疲れるんだよ
じゃあ、この場合の>>1
の主張で。
理屈や理論は感情を超えて共有できる、という理屈。
共有している奴今んとこいない説。
>>20
見事な理屈だ
>>20
まあそれはあれじゃない
数学の問題が解けない人間みたいなもん
>>23 共有できるよう、理屈を理論に進化させるべきじゃなーい。
>>25
こちら側だけではどうにもならないことがあるからね
3歳児に大学数学理解させろって言われても無理だろ?
3歳児が天才でもない限りは
するとその子が成長して勉強するのを待つしかない
>>27
イチと同じ価値観を「持つように」成長するまで待てってか。
そんな限定的な理屈保持者としか共有できないとか意味ないでしょー。
>>29
いや、論理性自体は人間に備わっているものなんだって
言語よりも遥かに普遍的
だから共有されやすい
逆に文化的なものはその社会の内部でしか通用しないものが多い
言語自体がそうだし、同じ環境にいる人間にできるいわゆる「空気」みたいなものが重視される
「空気」は明確な定義もない曖昧なものなので共有できない時はとことんできない
>>36 言葉がなかった時代からの慣例ですからねー。
>>27
自分に優位性を感じているなら相手に理解させないと証明にならない。
ここまで来てみろというのは、自惚れに近いな。自尊心だけの社会に有用でない学者様みたいでとっつき悪いわな。
>>34
その考えは完璧に間違っている
ネットによくいる「本当に頭がいいならバカにもうまく説明できる」ってのに近いけど
前提としている知識や論理性に差がありすぎたら話がそもそも成立しない
>>39
欧米の学会とか講義見てみるといいよ。より平易に伝えられる人を評価するんだよ。
知識と論理性をごっちゃにしてるみたいだから、そう割り切ってしまうんだよ。
平易に説明できないのは、自分の理解もまだ途中ということなのよ。
>>47
勿論平易に伝えることは大切だが、その平易というものの多くは論理性とその簡潔さに依るよ
比喩的な表現方法がうまいとか、例え話がうまいみたいなレベルじゃないよ
>>55
そうだよ。シンプルかつ理解し易い。君の言う表現方法てのは単なる修飾だよね。
君の論理性に世間がついてこれないのなら、まだ簡潔さがないと言い換えられるって意味さね。
理解されない=まわりが馬鹿っていう思い込みを解くために言ってる。
日常コミュニケーションで理屈っぽい奴が疎まれるのって
そいつの理屈から自己保身が見てとれるからだろ
日本の文化が禅宗主体の「考えずに行動しろ」って理念に基づいてるからな
これはドイツ人とかオランダ人とかになるとその辺の人でも気がすむまで延々議論してるぞ
>>28
日本語自体が論理的思考に向いてないってのもあるからなー
感情だってその感情が生まれるまでにちゃんとプロセスがあるから
理屈です~
多分だが、理屈っぽいやつ、理論を多数持つやつ(?)が
同じ部屋にいても誰とも意気投合しないし、
誰とも仲良くはならないだろうな。
感情の方がより難解で、それを解き明かし共有の真理を追究するのが宗教という学問だしな。
どっちが上というのは人類の歴史への挑戦者か、井の中の蛙となるよ。
>>38
いや、宗教は強引にルールを作ってそれを絶対とするもの
別に解き明かしているわけではない
>>41
うん?宗教本の1冊でも読んでみなって。それは儀式やら宗論のイメージだろ。
それか、キリスト教とかイスラム教のイメージじゃない?宗教は哲学で学問だよ。
>>52
後世の解釈やら議論で哲学的なものはあるけど
宗教の本質は懐疑から離れている
神がAだと仰るならAが正しい
それが宗教の世界
哲学は本当にAが正しいのか?そもそもAとはなんなのか?ということを考えていくのが基本
>>58
>>神がAだと仰るならAが正しい
それが宗派によって異なるから、論理性のみで解き明かすのよ。
んで各派で答え(真理)が違うから、宗教は変わり変化し分かれ生まれる。
仏教とか禅の方に着目すると俺の言ってることを理解してもらえると思う。
論理じゃなくて頭良いと思われたい「性格」が嫌われてるんやろ
最近論理的に思考するようにしたらいい女と話せなくなった不思議
ところでいまだに共感者出てこないな。>>1
仮に理屈が正しくても伝達手段に欠くとはこれいかに
>>70
説明下手って練習したら直るかな
相手に伝わらない時があってどうしたもんかと悩んでる
>>73
図解、というか視覚情報なんかも利用するとよいという話だけど。
手帳とかタブレット持ち歩いて書いてみるとか。
>>73
上達するよ
状況や行動を文字や言葉に置き換える練習からするんだ
どんなものにも原因はあるんだな
異なるのは現状の人間が言葉で説明できるか否か
直観だってきちんと分析すれば総合的知覚としてメカニズムを説明できる
理屈っぽいと言われる人間は現状の人間が言葉で説明できる部分だけに
固執する傾向がある
>>72
>直観だってきちんと分析すれば総合的知覚としてメカニズムを説明できる
でも「直感を直感で理解すること」と「直感を分析して知覚のメカニズムによる説明で理解すること」には大きな違いがあるよね?
コミュニケーションで本当に共有性、普遍性を持たせるなら後者の方が望ましいという考え
そら理屈「っぽい」からだろw
ここがダウトなんだよな。
理屈「っぽい」
理屈、論理こそ感情を超えて共有できるもの
結論
理屈っぽいってのは侮辱語、貶す言葉だと認識しているんじゃがのう
上位存在は筋道立てて話せる人、とかかな
コミュニケーションは理屈が越えたところで成り立ってることが多い。
頭いい人の話は面白いからねえ。
林先生の話とか理屈はほぼ好きだわ。
すぐ、否定から入るから話が暗くなる
>>46
なるほど。こっち側の理屈を「感情的」の一言で
否定してるところから入ってるからか。
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ルールを守ってお使いくださいませ
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コメント一覧 (25)
他人のせいにすんな。
理屈をマウンティングの道具にしてる奴は感情すらコントロール出来ていない
口に出されても「今さらそれ言うんかい」といか
「そりゃそうだ」というつまらない感想しか浮かばない
キリスト教の神学なんて鬼のように論理を積み重ねて近代の扉を開いたのに。自滅を伴って
こいつは人の話を聞かないで持論を押し付けるだけだね
知識もないくせに持論を押し付けて対応を迫られるから議論好きはうっとうしい
参考:スコラ学
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スコラ学
神学大全
https://www.google.co.jp/amp/s/www.philosophyguides.org/amp/decoding/decoding-of-aquinas-summa/
本気で理屈っぽい人間は一周回って面白いよ!
論破ではなく最強の妥協点を探すのが法律だから論破の気持ちよさを手っ取り早く味わいたい人には向かないかもしれないけど、少なくとも、人と対立することなく理屈を追求できる分野だよ~
みんな日常的に暗黙の了解を使ってる
ようは常に察し察され合ってる
無意識にね
理屈というか論理は前提に暗黙の了解を置かずに展開されるから、いつも通りの対応をしようとする相手は「いやいや、察しろよ空気読めねえな」と思ってしまう
つまりコミュニケーション不全を起こす
そして論理で話を展開する人のほうが圧倒的少数なので俗語的な意味でのコミュ障とされる
ここまで理解して人によって論理と暗黙の了解を使い分けられれば生きやすいんだろうけど不器用だとな…
何か不都合があった時や、互いの見識や理解や議題の理解をより深めたい時に議論などは役にたつし、面白い
でも別に好きでない人も多い。
好みと必要性の問題だね
具体的って考えた方がいいとは思う
理屈っぽいと言われてしまう人は、具体的が欠けてるのかも
話が分かる相手、通じる話題を選ぶの大事よ
面倒くさい
興味がなくどうでもいい
そんな感じ?
暗黙の了解がわかってて共感しやすい人同士で楽に意志の伝達ができるのに
それができない上に感情は幼稚だ、理屈は素晴らしって見下してる人とわざわざ関わりたくないでしょ
この人は論理的なんじゃなくてとても感情的だし幼稚だと思う
そうそう、この人すげえ感情的だよな。
レスしながら顔真っ赤にしてるの目に浮かぶわ。
論理の要所に自分の思い込みによる超理論が挟まった、到底他人に共感してもらえない「理屈っぽいもの」を振り回してるだけ。
頭悪そうという感想しかでてこない。
ダブスタ二枚舌
自閉世界の無責任な神の視点
私の自慰は論理的、何故なら私の理由は理由がある
お前の自慰は感情的、何故ならお前の理由は理由が無い
サリーとアンの、「スキマ」の認知
溶けて、曖昧さが、這い出る、思考の、ブラックボックス
ソレ自体が「視点」と一体化してるなら、もう他社も自己も無く、ただ、不快への「反対」を聖戦として行う、自慰正義の押し付けという正当防衛の狂気しか無い
1.自己の感情、信念、正義、その、同格の他者との擦り合わせを、一切の上位の自閉世界の権威たる無責任な「神」を否定して、ぶつけ合う
2.その土台の上で、いや、その下の個別の、証拠採用手続き、議論の土台に乗せる議題として許容するかどうかの門前払テストとして、客観的な、時空の整合性を要する、どちらがより上の真理、正解、普遍に、近いか、その「神のいない神話」という論理操作での相手の矛盾の指摘、批判を、行う
後者が全てを乗っ取ったら、単に「負けたくない」という、マイナスを減らす事だけに飲み込まれた、自分の意思を「客観的」なモノとして、自己を否定してしまう、真理という神の奴隷の壊れたマシーン、マッド論破アスペに堕する
個別の各論の「密室」での勝負と、透明な自由意志の公共の場での議論、それを混同して「客観的な自己の気分」という無責任な自閉世界の神の視点に引きこもって自己愛の棍棒を振り回す、それが、アスペの、実力行使の平和主義者、負けたくない感情に突き動かされてマウント論理を語る、弱者を気取る上から目線の、被害者ぶった先制防衛の、臆病で卑怯な、神の権威を振り回す進歩的な、パヨク思考
だから、理屈っぽいアホは、単なる幼稚な1段階の自己愛を押し付ける「悪」として、社会の擦り合わせの卓上から排除されるんだね
だって、自分から神を気取った奴隷になるんだから、ボスの権威に思考停止で盲従する暴走族の下っ端と変わらん
それが、自分で中身を批判も出来ない「哲学」という、アホくさい自己矛盾の、教義としての科学的思考に溺れた、IQの高い池沼
話の通じない、お利口ぶった、何も考えず「真理」に甘えてすがり自己の思考の重みと社会的主体の責任を放棄する、逃げるだけの、卑怯な、バカ
大多数の人間は感情的な部分を優先させて、理屈は2の次だから・・・
自分の考えを他人に対して真剣に聞いてほしければ、相手を選んで、なおかつ相手を不愉快にさせる話題(主に感情的になりやすいこと)は口にしないのが鉄則だね
mbtiの「T」の機能が強い奴は、本当に「F」とは分かり合えん
根本的な判断価値観が違うからな、酒の楽しみ方一つとっても違うわ
しかも他人の話聞く気もないし受け入れる気もないから、だから疎まれるってだけでは?
この>>1なんてまさにそうでしょw
自分の気に食わないことは感情的、感情論で片付けようとしてるけど自分が一番感情的になってるじゃん
てか、「理論的」であることを持ち上げる人って、なんでそんなに理論性を神聖視して、感情とかそれによるものを敵視するんだろう?
相手を論破·攻撃できる武器と口実が欲しいのかなあ
それが求められてない場でそれをやろうとするのはただのエゴの押し付けだし、
そのエゴの押しつけ自体がすでに感情的なやり方だよね?
それな
人間自分が思ってるほど論理的な存在じゃあない
そこがわからないヤツは容易く自分の感情の奴隷になる
アスペが「自分は論理的だ」と言い張るのは、アスペが「論理」(理屈)のことを「理由の説明」だと思っているから。そして、理由を説明せずに「イヤなものはイヤ」と言い張ることを、アスペは「感情論」と呼んでいる。
アスペが理由を確かめたくて「なぜ?」と尋ねているとき、相手は非難されたと思って「言い訳するな」とか「ごめんなさい」と返してくる。それがアスペには論点反らしに聞こえる。
「ちゃんと答えろよ! 『わからない』とか『答えたくない』でもいいから、正直に答えろよ!」って言いたくなる。
アスペは幼児の「なぜなぜ期」(大人を質問攻めにする時期)が残ったまま大人になったタイプが多い。幼児の質問攻めは、会話のきっかけを求めているだけであり、相手から返ってきた答えはすぐ忘れてしまう。そして、成長するうちに質問以外の会話もできるようになっていく。
ところが、アスペは「丸暗記」という特性により、返ってきた答えが頭から二度と離れない。さらに、「会話が一方通行になる」「言葉を字義通りに解釈する」という特性も合わさった結果、「質問に対する答えを知識として積み上げていく」「質疑応答と豆知識の披露以外に会話のやり方を知らない」という状態に陥るんだよ。